yuyuさんへ
今日は病院にリハに行ってきました!
病院の中庭を歩いて、坂道の練習。
中庭は植物がいっぱいで、私も見えていた頃は、かなり癒される空間だったけれど、
今は恐怖のでこぼこ道と化し、迷路のようにうねうねした道が広がっている場所です。
中庭でリハをしたご褒美なのか、帰ってくると、みごとに蚊にさされていましたーー
かゆーーーっと思ったけれど、蚊は盲ろうな私も分け隔てなくさすんだなー…と思うと、
不思議とちょっと愛着がわいてきたり?
さてさて、私は最近、点字図書館を使えるようになったので、
自分探しのためにも、いろいろと本を読んでいるのだけれど、
福島先生(尊敬する盲ろうの東大教授)の「ゆびさきの宇宙」に、こんな文がありました。
−アサ、 メザメタ トキニ、 トナリノ フトンヲ
サワルト、 ソコニ サワミ(妻)ガ イルト ホット スル。−
なんか、この一文が、盲ろうのすべてを表しているように思えて、涙が出ます。
私も1番怖くて不安になるのが朝、目が覚めたときです。
だから、手をのばしたとき、誰かがいると、ホッとします。
夢の中では何不自由ない生活をしているのに、
パッと目がさめたときに、まわりに何もない空間が広がっていて、
まぶしい朝の光もない世界を、寝ぼけた頭で新たに感じる恐怖があります。
そして、そこから1日が始まり、人とのつながりを実感する中で、
少しずつその孤独が癒えていき、穏やかに眠りにつく。
でも、次の日に目が覚めると、また恐怖が広がっている…そんな繰り返し。
だから、1日1日が一生のようです。
この福島先生の想いにたいして妻は、
−アイテガ イナイト、 ジブンガ イキテ イルト ジッカン シニクインダト オモウ−
と、「触れる」ということについて、話しています。
確かにー。
誰かの存在がなかったら、ここが現実なのか、天国なのか、わからない。
そういう、自分の存在がプカプカういた恐怖感が、ずーっと一生続くと思ったら怖いけれど…。
でも、そんな気持ちも奥さんはちゃんとわかってくれていて、だから頑張りすぎちゃって…。
−ボクワ モーローカラ ニゲラレナイカラ アキラメモツクケレド、
キミワ ニゲヨート オモエバ ニゲラレル。デモ ニゲナイ。
ダカラ カットーガ オオキイダローネ−
と、福島先生。
なんか…すごくいい夫婦だなー。
障がいとか関係なく、他人のせいにして逃げるのは簡単だけど、
自分の行動や言動に責任をもつのって、すごく勇気がいると思います。
それでも、自分で決めたこと、正しいと思ったことをつらぬける人って、
本当に尊敬するし、かっこいいなーーと思います。
でも、自分が自分を信じられなきゃ、どうにもならない。
自分で決めた分、辛いことだってあるけれど、
やっぱり、自分の考えがグラついているうちは、だめだな−−。
自分の信じる道がほしい!!
かっこいい人になりたい!と、思いました。
みゆ
miyuへ
自分探しじゃなくて、自分作りをして、かっこいい人になってね♪
miyuの思う、かっこいい人像をちゃんと作っていくと、そんな自分ならどうするか、
自然とそれに沿った振る舞いをするから、かっこいい人にちゃんとなれます。
あこがれと自尊心を大切に。
その時その時、いろんな思いに揺れても、それも自然なこと。
でも、こうありたい自分像があれば、揺れながらもそこに近づいていくから大丈夫。
もうすでに、かっこいい人、立派な人を目指して歩み始めているmiyu。
そのために必要な人もちゃんと引き寄せているし、
今もなかなか素敵だけど、ちゃんと自分の目指すかっこいい人になれると思うから、
いろんな思いと付き合いながら、とにかく一歩前進。大きな一歩じゃなくていい。
自分の歩幅でいいから、怖い時は恐る恐るの小さな一歩でもいいから
とにかく、勇気を出して一歩足を踏み出す。それだけでちゃんと近づいていっちゃうよ。
不安と恐怖に押しつぶされそうな時もありそうだけど、
それも自分の心が作った世界でもあるから、そんな時はあえて、
沢山の人に支えられているところや愛につつまれているところをイメージしてね。
朝、目覚めて一日を始める時の決まったイメージを作ってもいいね。
まず、目が覚めたときに、恐怖のイメージから切り替えて
あえて自分が目指す状態をイメージする工夫の仕方、
ちょっとyuyuに、作戦が生まれて、手伝えそうなことがあったよ♪
まだmiyuに私の秘儀を教えていない事を思い出した。
宇宙飛行士や登山家や冒険家も身につけている、自己コントロールの方法。
一流のスポーツ選手も・・・。孤独との闘いには、メンタルの強化が必要。
miyuも一流の人生の探検家を目指すなら、身につけたほうがいいかもね。
ではでは~。明日の目覚めが穏やかな気持ちで迎えられますように。
ゆゆ