大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ
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初の授賞式

某大学のゲストスピーカー準備のため、ブログをしばらくお休みしていました。
昨日やっと終わって、ひといきついたので、早速またブログを再開します!
ゆゆさん、よろしくお願いします。

“初の授賞式!”

今年の5月ごろに、ゆゆさんに情報をいただき、
初めてネットで応募した“私の転機”をテーマにしたエッセイ。

すっかり忘れた10月ごろにコンテストの結果が発表されました。
530名ほどの応募があった中、なんと入選。

“人生の主役は私
~100人の女性が話した、書いたエッセイ&インタビュー集~
”という書籍に、はずかしながら、エッセイの全文が掲載されました。

ありがたいですが、みなさんの作品を拝見していると、
自分のはまだまだだなと思いますし、その時はいいと思って書いてても、
読み返すとなおしたいところがたくさんあったりで、忸怩(じくじ)たる思いです。

でも、“ユーチューバー”が職業として子供たちの心をつかんでいる現代において、
もうろう者の職業開拓(収入を得る道)は、いまだに
三療(さんりょう:あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律に定められた3つの治療行為)が中心にすえられています。

それも素晴らしい仕事ですが、身体を使わず家にいながらにできる仕事、
職業として、ネットを活用したユーチューバーならぬ
“応募er”(応募アー:文章を書いて応募して賞金を得る)みたいなのもできたら面白いと思います。

まあ、そんな夢も持ちますが、実際今回は、そんなことはどうでもよくて、
ゆゆさんに教えてもらった、コシノジュンコさんの言葉
「人生はお金をどれだけ稼ぐかではなく、どれだけ経験したかが大事」
という指針のもと、初めて授賞式に参加できるという経験が嬉しかったのです。

「授章式って、一体どんなふうに行われるんだろー??!」ワクワクしました。

今回、授賞式のお知らせをメールでいただいたときに、
母に頼んで先方の担当の方に電話で問い合わせてもらい、
「授賞式に出たいのですが、もうろうなので通訳・介助者2名と一緒に参加してもいいですか??」と聞いてもらいました。

受賞者は無料で入場できるのですが、一般の参加者は入場料がかかります。
それを、同行の通訳・介助者2名の入場料も無料にしてくださいました。

式で、ゆび点字通訳をするための机とイスなどもご用意くださるとのことで、
とても親切に対応してくださいました…。
「26のブースも出るので、きっと楽しめると思いますから、ぜひ参加してみてください!待っています!」というお言葉もくださったと、母に聞きました。

当日は、大きなホールに舞台が作られて式が行われました。
私はステージのすぐ下に座っていましたが、壇上にはスクリーンがあり、
受賞者全員の名前が投影。読み上げられました。
遠方で参加できなかった大賞、準大賞の方のコメント映像が流され、
ステージの壇上に並んだ受賞者に社長様がじきじきに一人ずつ賞状をお渡しくださいました。

そしてなんと、私の番のときは、私の座っているテーブルまで社長様がおこしくださり、賞状とコメントをくださいました…。
はー。思ってもみなかった出来事に、興奮するやら、うれしいやら、驚くやら、とまどうやら。

ひとことでは言えない、いろんな感情があふれました。
ステージにのぼれない私にも気を配ってくださり、ありがたかったです!

その後は、フォトジャーナリスト・安田さん、スポーツライター・高樹さんのトークイベントもあったのですが、
安田さんは“戦場カメラマン”で、シラクなどの戦時下にいる子供たちが時折みせる笑顔などを写真を通して伝えています。
ごみの山から食糧を探す子供たち。

そんな状況に日々向き合っている安田さんは、私と年齢があまり変わらないのに、
話の内容に深みがあり、その1つ1つの言葉に重みがあり、かっこよかったです。

私も昨日のゲストスピーカーで、迫害を受けているロヒンギャの生きることも許されていない人たちの状況を思い、感じることも話ましたが、
私は一応は平和な日本に生きていること以上に幸せなことってあるのかな?と思います。

そんなことを言っても、実際私も苦しいことやつらいことはたくさんありすぎて、しょっちゅうへこんでいますけど、
自分に与えられたこの環境は“当たり前”ではないという事は、いつも心の片隅に置いておこうと思います。

みゆ

ーーー

みゆさま

エッセイの受賞、おめでとうございます!

新しい出会いがあり、新しい経験をまた一つできたこと、
いろいろな方と交流の機会があったこと

本当によかったです!

ゆゆ


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by mi-yu-yu | 2017-11-30 11:54 | Comments(0)

朝、目がさめたら

“朝、目がさめたら”

夜の闇と温かい布団にうもれる心地よさ。
お風呂の湯船につかっているみたいに、心の底からリラックスできる。

そうして明日目がさめたら、私は以前の身体に戻っていたりして?
奇跡が起きて、みんなに迷惑をかけなくても、
親や祖父母を悲しませない私に戻っているかな?

カーテン越しの眩しい太陽の光と朝のあわただしい洗濯機や足音で目がさめる。

目が見えるようになっていたら、この家の中の風景や、ルーフバルコニーの景色をみてみたいなあ。
ルーフバルコニーの植物は、どんなふうに咲いているんだろう?

部屋の中には写真がいっぱい飾られているようだけど、
どんな写真を飾っているのかな?
大好きな愛犬の写真が見たいなあ。

年をとった祖母や両親の顔も見てみたい。
祖母のおうちに遊びにいったとき、
まずは仏壇の祖父に話しかけるんだけど、
私は祖父が笑っている遺影だって見たことがないよ。

そんな1つ1つが私にはさびしいんだけれど、
私が苦しんでいたり、イライラしてると、
まわりの人たちは悲しむだろうから。

私はまわりの大好きな人たちを悲しませたくはないから、
だからなんでも感じていないふりをするよ。
みんなが笑っていられたらいいな。

みゆ

ーーー

ゆゆ137.png

「感じていないふり?!」

返信はみゆのみにさせていただきます。。。



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by mi-yu-yu | 2017-11-16 22:52 | 盲ろう | Comments(0)

私は歌う!

“私は歌う!”

「私の最近のマイブームは、歌うことです!」って言うと、
必ず返ってくるのは「えっ?聞こえないのに?」いう反応。
違うんですよ…、聞こえないから、自分で歌うんです。

オンチだっていい。もしかしたら、
聞こえない私が歌っているつもりでも、
お経のようかもしれない。

それでもいいんだ。歌手じゃあるまいし、
だれに聞いてほしいわけでもなく、
脳内に流れるように、自分のために歌うのです。

私は音楽が大好きで、小さい頃習っていたピアノも
練習曲なんてまともにやらずに、
アニメの主題歌をコピーしたり、勝手に曲を作って歌ってたっけ。

もう音楽を聞いて楽しむ事は出来ないけど、
自分で歌うと、今、曲のどのあたりなのかもわかるし、
テンポも自由になります。
おまけにテンションもあがるので、私は歌が大好き!

懐かしの曲が頭の中に演奏されて、音が聞こえる気がします。
だから家などでは気がつくと歌っています!

それになぜか、私が歌っていると喜ぶ人たちもいます。(誰?)
バーチャルな想像も、リアルに感じることもできます。
私の世界の特権です。

入院をして大部屋だと、まわりに気をつかって、
好きに歌えなくなるので、私はこのまま自由に暮らしたいなあ。

みゆ

ーーー

みゆさま179.png

ブログを読んで、「いいね!」を
ポチっとしたくなったのですが、

「小さなイエス!」もそんなことでいいんです。

ご機嫌でいられる、その状況に
自分で「イエス!」です。

自分にとっての「いいね!」って状況を
しっかり自分に落とし込んであげるの。

歌、どうぞ絶叫して、
自分の喉を空気が通る感覚、
呼吸の感じも楽しんでください。

そして、そんな自分に「イエス!」

ご機嫌なみゆを見るのは
周りの人も嬉しく(喜びに)なるのでは?!

ご機嫌な人のそばにいるのは
楽しいし、安心するよね。

それに毎日ご機嫌ですごそうと思って、
自分にいっぱい「いいね!」「イエス!」をしていたら、

小さいイエスを見つけるのが得意な自分に「イエス!」
となるし

毎日、小さな「イエス!」「イエス!」の積み重ねで
自然に感謝があふれてきてしまうようになるよ。

これはゲームのようだけど
実際に幸福度が一気にアップして
幸運体質になれます。

道を歩いていても
「宝くじにあたったんですか?」って言われます!

「イエス!」を見つけるのが大変なみゆこそ、
自然にやれるようになると、「それだけで素晴らしい!」

まさに、そんな自分に「イエスー!!!」
・・・なんだけど、無理な提案していたら、ごめんね。

あ反対に、日々が大変だからこそ、
順調に行った時に、
「イエス!」って言えることもあるかも。

人は当たり前だと思って
通り過ぎていることが
あまりに多いから。

日差しが暖かい。イエス!
お風呂の温度がちょうどいい。イエス!
この香り、好き。イエス!!

いちいち、それは「自分にとって」
嬉しいこと、いいこと、うまくいったこと
なんだ、と刻印付けていくと、

自分がどんなことが好きか、
どんな時に嬉しいかも、
ちゃんとわかってくるから

自分を楽しませるポイント、
喜ばせるポイントもわかって、

優先順位をつける時も、
自分の心に従っていきやすくなるし

イエス!を感じられる体験を求めていったり、
その反対から離れたり

自分にとってより良い選択をできるようになるとおもいます。

それが自分を大切にするってことだよ。
時には人に譲っても、ちゃんとそんな
自分をわかってあげているってことだよ。

そして、いいこともたくさん引き寄せます!

まわりの人も(日々大変なみゆが)
少しでも楽しい気分でいると嬉しいわけだから、
(みゆを喜ばせたいなと思っている人も多いから)

みゆが気を使って我慢しているよりも、
どうすれば自分が楽しくなるかわかっていて
教えてくれるみゆの方が、

まわりも付き合いやすくなるのではないかな。

人を手伝う時って、良心的であればあるほど
「余計なお世話かな、これでよかったかな?
かえって悲しませたかな」と
自分がしたことに自信を持てない人も多いと思う。

こういうこというと
「そういう気を人に使わせているんだ」と、
またみゆを悩ませそうだけど、

誰かを気にかけて、手助けしたいと思っても
何が必要なことかわからなかったり、
同時に遠慮?も働いたりするのも人間で

なかなか人に「おせっかいをやく」のも
大変なんですよ・・・

余裕がなくて無関心な人も実際いるけど、
「何かできることがあれば手伝いたいけど、
何を望んでいるかわからない」という人もいて

時には、おせっかいかもしれないけど
「おおいなるおせっかい」が必要なこともあると思います。

ゆゆは、とりあえず相手に聞いてみることを
恐れないことにしたから、

日々、「おせっかいおばさん」

それはそれでいろんな交流も生まれて、
楽しいです。

そんな思考のゆゆに先生がつけてくれた名前は
「Over Kind 療法」

名ずけて「おせっかい療法」
いや略して「OK 療法」です!(←名称・イエス!)

ゆゆは誇りを持って、「おせっかいおばさん」
「おせっかい療法」をみゆにも実践しているわけです。

イメージする力もあなどれなくて、
レモンをかじるところとか、梅干しを食べることを
想像するだけで、本当に唾が出てきたり、
顎のあたりがキューっとなったりするように

イメージしたことを現実として
体験する力を人は持っていると思うから、

楽しいことを想像して、
実際に体験しているように感じることは、
体にとっても実際楽しい経験をしているような
感覚を与えて、こころをワクワクさせます。

遠足に行く前から楽しめたでしょう?

心にとっていいイメージで遊ぶってことは、
実は体にとっても、免疫が活性化したり
いい影響があるのではないかと思っているので、

みゆにも是非、自分の心のイメージで
自分が楽しくなる世界を見つけてほしいなーと
おもいます。

「現実は違う」なんて思わないで、
そもそも「イメージを楽しむ!」って思って
イメージで遊べば、

イメージには間違いも正解もなく
「イメージは自由だ!」ってわかると思います。

イメージは心の世界なんだから
「人からどう思われるか」も全く気にしなくて大丈夫。

何を思ったって自由。
言わなきゃ誰にもわからない。(←いい意味で)

一人でも楽しめるけど、どんなイメージで楽しんでるか
発信したら、それはそれで楽しいんじゃないかと思います。

またまた余計なおせっかいな
返信でした。。。

では、楽しい夢を!(夢も大事なイメージ)

余談)
ゆゆは、時々、汚いトイレの夢にうなされて
起きても余韻がのこっちゃうんだけど、なんだろうなあ・・・
昔から、学校を選択するのにトイレの綺麗さが重要ポイントになって
いるしなあ、、、何か私にとって重要な場所??
いや、トイレは誰にとっても重要ですよね。

ゆゆ

ーーー

みゆより168.png

お返事、ありがとうございました!

もうろうになった最初のころ、
“幸せはそこらへんにゴロゴロ転がってる”話をしてくださいましたよね。

同じように、YES!ってたくさん転がっているのだと思うし、
それら1つ1つを認識できることで、
すごくハッピーな気持ちになれると感じました。

そして、どんなことにYES!を感じるのか、
発信していくことも重要なことですよね。

でも、ゆゆさんのはおせっかいではないと思うなー。
やっぱり、濁流にのみこまれているときは非常事態なので、
自分が助けてほしいのかもわけがわからなくなると思う。

はためからはおせっかいかもしれないと思うのかもしれないけど、
自分ではどうにもならない状況で救われることもあるのだと思う。
それこそ、プロフェッショナル?!

トイレの夢は、やっぱりだれしもに必要な場所ということで、
心にたまったものをはきだせる場所…。
そこが汚いとムズムズするゆゆさんということで、私の夢解釈でしたー。

眠くて、自分がなにを書いてるのかわからなくなってきた。
おやすみなさい!

みゆ

ーーー

ゆゆ168.png

またまた、長文読解お疲れさまでした。
ゆゆの分はおせっかいだから、省略して載せようと思ったら、

みゆが「イエス!」なコメントを返してくれたので、
載せておくことにしました。

今日も、イエス、イエス!な一日を!

ゆゆ







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by mi-yu-yu | 2017-11-13 23:34 | 日々のこと | Comments(0)

もう空気は読めません

“もう、空気は読めません”

先生たちには反抗なんてしたことがなく(たぶん)、親の言うことに素直に従ってきた(つもり?)、発病前の私。

人の顔や行動をみただけで「あれが必要だろうな」「こうしてほしいだろうな」とかその気持ちを想像してしまう、思いっきり”空気を読む“タイプでした。

まるで軍隊教育をうけたみたいに先輩や目上の人との上下関係には、まずは礼節をわきまえようというこだわりがあったり(←これは体育会系な部活の影響かなあ?)。
まわりとの協調性はすごく高かったかもしれない。

でも、私はそんな生き方をしてきたから、目と耳や体が思うように使えなくなった今、気持ちばかり先行して行動がともなわず、イライラしたり苦しかったりして生きづらいのかなあ?

“自分の都合でしか動かない”、と思われたことがあるけれど、そうではありません。
そしてそれが当然と思ってるわけでもありません。

相手の気持ちがわからないと言うより、まわりの空気に合わせたくても、合わせられないのです。

「車いすを押しながら、通訳するのも大変だよなあ」と通訳さんに気を遣ったら、なにも伝えてもらえなくなってしまうし。

状況がわからないがために、相手に失礼で自分勝手な行為になってしまったり。

お礼さえ伝えられずじまいになったり、上手くコミュニケーションがとれなかったり。

一般の人にも大変さやストレスがあるのと同じように、私もストレスにまみれているのだ。

そして、視覚情報がないと人となにを話せばいいのかもよくわからない。
たとえば、初対面の方と話すとき、もうろうになる以前は、話題につまったら、相手の年代に合わせた話題をふってみたり、髪形や洋服の話題、まわりの環境に合わせた話題をだしてみたりしたけれど、私はそういう手がかりが何もない。

なんにも見えないし、相手もだまってしまった場合、どうしたらいいのかがわからない…。
見えない・聞こえない私に“空気を読む”ことは全くできないのに、「空気の読めない人」と思われたくないというジレンマ。

私って、なんなのか。
だけど、残されたもので幸せにやっていかなくては。

クリームチーズがおいしい。
人生、生きていてこそだと思う事にします。

みゆ

ーーー

みゆさま

お疲れ様です!!
みゆの日々は確かに、
ストレス満載であろうと想像します。

それを認めて、
「空気を読むこと」は

通訳の方に「ゆだねる」
通訳の方を「信じる」

それが、みゆが
「誰かと二人三脚で生きること」
なんだと思います。

そして、それができているのは、

見えない聞こえない世界でも

「空気を読むのが得意だった」頃の
人と折り合うスキルを活かして

コミュニケーションの質を保っている
みゆの力量でもあると思っています。

それは、みゆの立派な能力です。
みゆ自身の力を精一杯使って、生きていると思います。

ただ、それはみゆが努力で得たものではなく、
(器質的なことだけでなく、気遣いや共同の仕方を教えてくれ、
 守ってくれた親や誰かがいることも含めて)
みゆに与えられた能力や環境の恵まれた部分なんだと思います。

世の中にはそこがうまく働かないこと(発達障害)や
環境の大変さゆえに

人間関係や人とのコミュニケーションに
障害を抱える人もおり、

それも、その人たちの努力が足りないからでも
その人たちが悪いわけでもありません。

「人と折り合えない」とか、
「人を信頼できない」ということは、

それまた生きていく上で、
大変なハンディになることもあり、
その辛さも尋常でないこともあります。

障害の重さや大変さは、
人と比較できるものではありませんし、

それぞれの状況の中で、工夫したり
乗り越えようとしていることが、

人を励ましたり、勇気づけることもあり

這い上がるチャンスのある社会も、
支えてくれる人もいると感じられる社会も

人に安心感をあたえてくれるものになるはず。

でも「人がどう思うか」は
相手が勝手に思うことであり、

「私・自分」にはどうすることもできません。

あえて自分が人を励ましたり勇気づけるために
生きる必要もなく、

時には人から批判されることも恐れずに

ただ自分の道を行くだけなんだと思います。

それが自分の花を咲かせること??

できれば、

ただの「自分勝手」なのではなくて、
相手もそういう「自分」を持っているのだと尊重し

自分を大切にすることが
「誰かを大切にし、誰かにも安心感を与えるものでありたい」と
自分の生き方を律したり体現することはできると思うし、

そうすることは、「自分が自分をどう思うか」に
影響をあたえてくれることになると思います。

「人にどう思われるか」は
いい意味でも、悪い意味でも「手放し」て

「自分が自分をどう思うか」
「自分で自分を認められるか」
に焦点をあてたらどうかな?

「人に褒められるための人生を生きていた」
という(褒められ上手な)みゆなら

自分を上手に褒めてあげることができるはず!

同じことをしたって、
それをいいと思う人、悪いと思う人がいて、

人の思いはその人のものだから、
どうにもできないけど、

自分が褒めてあげられる、自分になることはできるかも。

自分を大切にすること、自分の価値観を信じること
自分の思いや信念を大切にして

人が共同して支えあっている社会の中で
ただ自分をいかせること、できることは何か考え
それをしていくことが

「自分」の生きる道??

人からの誤解
人に思いを伝えるチャンスも少ないこと

他人に迷惑をかけていると思う、
自分でできることが少ない、

自分一人の都合だけでは行動にうつせない、
予定変更も気を使う
(誰かに都合を聞いて日程調整が必要)

自分のやりたいことができない
楽しみを見つけるのも大変

人との違いが大きすぎる
人並みな、ささやかな楽しみすら享受しにくい

近くで起こっていることもわからない、
心を癒してくれる音や景色もない

誰かと共感するにも条件が違いすぎる
この大変さも気持ちも誰にもわかってもらえない!
という気持ち

天気や交通手段にも左右され、
町のあらゆるところに行動をじゃまするものがある。

さらに、それを
一緒に頑張ってくれている人にも悪いと思い、
大変さを気遣う

そんなこんなな日々は、
ほんとーに大変そうで、ストレス満載で

ゆゆの想像力もはるかに超えたところにあるとは
思うのですが、

そんな中で、みゆは
心が病気にもならず(体は病気だけど)

見えて聞こえても大変な他人との共同を
日々、二人三脚でかけぬけ、

人生の肯定的な面を探し、ちゃんと生きようとし

自分勝手どころか、自分をむちうち、
様々な物理的な障害にも屈せず行動し

他人をいたわり(自分ももっといたわって欲しい)
他人と上手に共同し、
自分を活かす道を探している

そんなみゆは、
「本当にがんばっているなー」
「すごい、人間関係の能力高いな」と思うから

みゆの真意や努力が人に伝わらないのは残念だけど

ま、そんなに頑張る必要もなくて・・・

人が思うことはいろいろで
空気を読み過ぎても、うまくいくわけでもないので

「人にどう思われるかじゃなくて、自分がどう思うか」
自分が認めてあげられる生き方を目指すしかないね。

ゆゆ的には、いつも感心しちゃうから
「もっと自分で自分を褒めてあげなよー」
と思うけど

みゆが自分で認められないと意味がないからね。

そうそう、みゆくらいの若いころは、

無職無収入の、所属もない、結婚もしていない
他人から、いちいちとやかく言われるような時代にも

実際にはフルタイムで労力を提供していたから、
誰にも認められなくても、

時には知らない人にひどいこと言われても
「自分だけでも認めてあげるしかないな」と

ゆゆの心の中に
「誇らしげのポーズ」っていうのがあって、
(ポーズの中身は、みゆのみお知らせ)

自分の信念に沿った行動(すごくささいないこと)が
できた時に、一人、

そんな「誇らしげのポーズ」をとっているって話を
周りの人にしたら、なぜかウケて

みんなちょっとしたことで
「誇らしげのポーズ!!」って実践して

情報共有する連絡ノートにも
がんばったことや工夫したことを書いたあとに、

みんなが「誇らしげのポーズ」のイラストを描くようになった
ってことあったよ。

最近は、そのことはすっかり忘れてたけど、
今は「小さなイエス!!」のポーズがあるよ。

友達の(潜在意識の)モグラ君もいるしねえ・・・

人間の友達がそばにいなくても
モグラ君(うちなる自分?)といっぱいおしゃべりしているよ。

うまくいったこと、がんばったことは
自分だけでも認めてあげること

どんなに小さなことでも、しっかり肯定してあげること
それが大事なんじゃないかなー。

まるで、イルカが芸をするたびに
ご褒美の魚を与えるように

小さな一つ一つの動作にも、
「肯定(イエス!)」というご褒美をあげる。

それが「自己肯定感」をあげる秘訣?!

ーー
(実際の例)
ーー

あのさ、、、心の中は自由だから、
思い切り遊んでね。ネタが少ない?

みゆの場合は、モグラになりきるっていうのはどう?
モグラとして世界を体験する。

ああ、「モグラはカワイクナイ」って言われたんだったね。

ゆゆにとって、今仲良くしている
想像上の潜在意識のモグラは
めちゃくちゃ可愛いけど、

みゆが選ぶ動物は、これまた
「人から見て」可愛い動物だったね。

心の世界にも
それぞれ、個性や考え方が出るね。
みゆなりの楽しい心の世界を作れますように。

ゆゆ

ーーー
みゆより

お返事ありがとうございました。
読んでいたら1時間はかかってしまったけど、中身がつまったお返事をくださったことや、ちゃんと考えてくださったこと、寄り添ってくださることがすごく嬉しかったです。私がもうろうになって、病院に入院していたころからかわらない、ゆゆさんの信念なのかもしれませんね。おかげで私はここまで来られました。

以前(数年前かな?)、“自分の人生にYESという”お話をしてくださいましたよね。本にも書いてくださいましたよね?

私はあのころから、自分の人生を肯定しようと思いました。だれかに恥ずかしい生き方はしていないつもりです。そして私としては、それが無理をしているわけではないけれど、“弱音をはかないで生きること”につながっているのかな?と思います。環境や人には恵まれていると思っているので、肯定することで、より“幸せだよなあ”と感じるのです。

でも、それがあんまり自己肯定感につながっていないのかもしれません。
もうろうになって数年の、20代前半のころよりはらくになりましたが、まだもがいているのだと思います。
1つ1つの行動に対するYES!を積み重ねたら、もっと自分の人生に自信をもてるようになるのかなー。

みゆ

ーーー
ゆゆより

「自分に」弱音はいっぱい吐いてもいいし、
ぐちをいっぱいいったっていいんだよ!

そうしたら、反対に
「そんな中で、私ってがんばってるなあ!」
って、いたわってあげたくなっちゃうよ。

心の中にこそ、事情をわかって、
なんでも認めてくれて、
応援してくれる友達がいるよ。

先日、
「人と違うことはかえって素晴らしいことなんだ、
それだけで価値があるんだ!」って、

だれかが書いているのを読んで

みゆも、みゆの本意ではないけど
特異な人生にチャレンジしている
オリジナルな人生まっしぐらに邁進中だから

その人生に、自分なりに取り組んで
自分なりに認めてあげられる人生になったら
すばらしいんじゃないかなーと思い、

いつも応援しています!

では。












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by mi-yu-yu | 2017-11-08 23:11 | 盲ろう | Comments(0)