寒さが厳しい今日このごろですが、
テーマは
私は点字を読むよりも、
講義だとペースが早いので、
先生がたや学生サポートセンター、
今後ともよろしくお願いします。


大学の試験期間に入っています!
やり方は…というと、スタート時間に先生からメールで問題を送っていただき、通常の4倍くらいの時間をもらって、終わりの時間までにメールで答案を返信するというもの。
与えてもらった、4題の記述を4時間以内に答えるというのは、最初に予想していたよりも、ずっとハードなものでした…。
「記述4題なら、休憩しながら2時間もあれば終わるでしょー」
そんな風に思っていたのに、実際は休憩をいれるなんてとんでもないことで、4時間ぶっ通しで、頭をフル回転させました。
それでも全然時間はたりなくて、「もっと考えたかったな…」という感触でした。
時間に制限のある試験は初めてなので、先生が「どのくらい時間があればできますか?」と聞いてくださったのに、前例がないので、なにかを参考に考えることもできず、私の答えは全然現状に適していませんでした。。。
でも、とりあえず試験を受けて、成績をいただくことは、ご配慮くださったり、お手伝いくださった、授業の先生をはじめ、大学の職員さん、パソコンテイクのみなさん、文字おこしをしてくださった方々、通訳・介助のみなさん、たくさんお世話になったみなさまへ、少しばかりのお礼になるかな、と思いました。
たくさんご協力いただき、おかげさまで自分の実になったように思います。
まだレポートが残っていますが、引き続き頑張ります。
自分の興味のあることを勉強するって、とっても楽しいです!
みゆ


私も、空を飛ぶことや、飛行機から陸を眺めたりすることが好きなので、なにか関わりながら学べたら楽しそうだと思いますが、今の私にとっては学びの場も少ないので、大学で広い視野を持って学べることがとても楽しいです。
私は心理の勉強を続けながら、文学の授業を受けたりしています。
アドラー心理学などのように、“病気になっても幸せに
向かって歩むために、大切なこと”を学びたいと思っています。
それは自分のためにもなるのかなー…と。
お会いできるのをとっても楽しみにしています!
先週は、母がウィルス性胃腸炎でダウンし、
ゆゆさんは大丈夫でしょうか。
ストレスを慢性的に与えられた細胞は、
みゆ
時にはひらきなおることも大切だと思います。

大学の後期授業が始まりました!
後期は、発達心理学やパーソナリティ心理学を勉強します。
それはいい会社に入るとか、お金もちになるとか、
午後の斜めに翳った日差しの中で、人は振り返って
いろんな人生を考えたり、自分にとって大切なことを思ったり、
みゆ

青春 サムエル・ウルマン 作山宗久 訳
青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ち方を云う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
霊感をうける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
悲嘆の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。
「青春とは、心の若さである」 角川文庫

他人にも恵みを与えられるような水をうみだせたら、
前期金曜の授業も終了!
今日はグループごとのプロジェクトの発表会でした。
私は残念ながら、目と耳が使えないので、
自分が使える「外部との接続コード」の両手のみで
いろいろなことを手で補っています。
だから、学生さんたちの重なり合った声を通訳してもらっていて、
私が普段の生活から得ることができている情報とは違っていることが
とても新鮮に感じます。
(学生さんたちはネットやメディアから得た情報を
すぐに議題にしていろいろとディスカッションしているが、
私は本などから得る情報が主で、
テレビなどから得ることは知らないことも多いし、
ディスカッションの経験は少ない)
若い学生さんたちは、今現在の話題を即時にテーマにすることが多く、
また、会話の早い学生さんたちと私がレスポンス良く討論することは、
授業という時間の制限もあることだし、
私の頭の回転もたいして早くないので「どうしても無理である」と判断しています。
だから、発表会の時にそれぞれのグループが前に出て話すことを、
私は通訳を通して聞くことに徹して、そこから様々なことを学んできました。
私にとってそれは、盲ろうの人たちから学ぶことの他に、
一般の人たちが得ている情報や、社会の様子、
現代人が抱えている問題等を考えることができる貴重な場所であり、
それをふまえた上で、「盲ろう者の場合、どうなのか?」と
中立的に考えることができる貴重な場でした。
私は、今の状況からどうしても、盲ろうの立場にたって考えてしまいやすくて、
意見が偏ってしまうこと、狭くなることは問題だと思っていて、
もっとたくさんの立場からの意見を聞きたいなと思っています。
しかし、情報の取得に難しさのある障害者にとって、
そんな場所が少ないことが、なんとも残念です。
でも、とにかく私にこういう機会を与えてくださり、
協力してくださったみなさんがいて、
本当にありがたいことだと思いました。
TAKEばかりじゃなくどこかでGIVEも出来るように、
自分の中でじっくり熟成していきたいな。
みゆ
ーーー
みゆさま
ほんとにね・・・「話し合いに参加できない」という
ハンディキャップ。
そのプロセス(過程)に絡まることができない
ディスカッション(議論・討論)できない。
それを経験する機会の少なさ。
けれど、そのことの重要性を認識されないまま、
意見や判断を求められる大変さ・・・
盲ろうだけでなく、聴覚障害の場合にも実感した話です。
盲ろう者だからこそ、精神的のみならず物理的にも
人とのつながりを強く求めているのに
目や耳からの情報が得られないからこそ、
(新聞もテレビもラジオも利用できないから)
人を通して得られる情報が重要なのに
人の集団に参画するのが難しい・・・
本当に大変だなあ・・・・・・・・・・・・・
なんだか状況よくわからないのに、社会に参加していくって、
本当に勇気がいるなあ・・・・・・・・・
みゆは本当に頑張っています!
しかも、人に関わる機会さえ、お金で買わないといけないなんて・・・
仕事に文句ばかり言っている人もいるけど、
お金もらって、人と関われるって、本当はとても幸せなこと。
本当は、働けるってありがたいことなんだよなあ・・・
ゆゆなんて、プライベートではもう人に会いたくないくらい、
どっぷり人と関われて、話し合えて、おまけに人生の糧になる話を聴ける。
与えながらも充分すぎるほどに受け取っている。
さらに、みゆみたいな、勇敢な頑張り屋にも会える?!
ありがたいことだなあ・・・幸せなことだなあ・・・
みゆも十分、Give「与えてもいる」。
そして Take「受け取る」ことも大切な仕事。
だけど、ほんと「働く喜び」を味あわせないとな!!
ゆゆ
ーーー
みゆより

本当、健康な身体があることは恵まれたことだと思います。
そして、勉強したり、仕事したりって、だれにでもできるわけじゃない。
とっても幸せなことだと思います。
ーーー
はい! 感謝して、お仕事に行ってきます!!
ゆゆ
今日で大学の前期、月曜の授業が終了!
(テストは来週)
あっという間な半年間でしたが、とても楽しく、充実したものでした。
私は盲ろうの障害をもって、自由な行き場がほとんどなくなって、
せまい世界でしか生きられなくなったり、考えられなくなっていたのかもしれない。
けれど、私はもっと自由に生きたらいいのかもしれない。
でも、だからといっても、
どうしていったらいいのかわからないけれど、
だけどこれだけは言える。
人と出会い、関係をつくれる場があるって、とても幸せなことです。
そんなわけで、これからどうしていこうかなーと思うわけですが、
やっぱり私はゆゆさんとの“みゆゆ共同プラン1”がいいと思うんですよね…。
(内容はまだ極秘)
そんなことを考えていました。
水曜に通院するときに相談させていただきます!!
今日は大学のあと、お世話になっているみなさんと、
美しい緑の庭園を眺めながら食事できるお店に、5人で行ってきました!
だんだん人がへって、最後は3人になり、
結局お店に7時間くらいいましたが(迷惑?)、
いろんなお話を聞かせていただきました。
楽しかったし、ステキなみなさんにお礼の気持ちでいっぱいです!
みゆ
ーーー
みゆさま

春学期終了、お疲れさまでした・・・
素敵なランチタイムは打ち上げみたいですね!
みゆの場合は、講義終了は解放感というより、
卒業した今となっては
いろいろな意味で「人と触れ合い、もっともっと勉強したい!!」
・・・けれど講座ごとの受講だから、
終わってしまうと大学に行く理由もなくて寂しいかもねえ・・・
(親切な、職員のみなさんとも会えないし)
学生時代に、その一つ一つの講義のありがたさを
実感できる人も少ないかも・・・
ゆゆは、中学・高校での勉強よりも、大学に入って、
興味のあるものを自分で選んで受講できるというシステムに、
心から喜びを感じて、大学一年生の時は、
すぐに夏休みが来て残念なくらいでしたが。
好きなことをもっと知る、興味のあることを勉強するって
本当に楽しいよね。
・・・ところで、突然、久々の「作戦会議」開催の依頼が来たのですが、
一体、どんな名案が??
みゆはさ・・・アイディアだけ、バン!と出して、
詰めるのはゆゆだからな・・・
では、水曜日に。
ゆゆ

先日の某有名私立大学の授業を聞いてくださった学生さんたちから、
授業の感想や疑問に感じたことなどの、
リアクションペーパーをデータでいただきました。
ご自身が障害を持たれている学生さんや、
就職に悩んでいる学生さんなど、それぞれの立場で
自分に引き寄せて受け止めてくださったそうです。
私は、もうろうの世界にどっぷりつかりすぎて、
健常者が疑問に思うことを前もってうまく説明することが難しいと
いつも感じています。
「主観と客観を理解した上で、うまく説明しないと」とは
いつも心がけようとしているのですが、
主観と客観の境界がいまいちわからなくなってきました。
たとえば、最初のころに「触手話」というコミュニケーション方法をを知った衝撃。
今は触手話を使う人になじみすぎて、それは私にとって
「普通」のことになったので、わざわざ説明しようとも思わないことがあります。
だけど、そもそも「手話も不思議」と感じる人たちのほうが多いんでした。
たしかに私も、もうろうになって初めて「盲ろう」を知ったのですが、
今回の学生さんたちも、だれも「盲ろう」という言葉を知りませんでした!
社会の認識としては、それが現実なんですよね。
でも、ボチボチとみなさんに知っていただけて、とてもうれしく思います。
そして私ごときの存在を見て、感じて、
私の伝えたかったメッセージ、
「なにがあっても人生をあきらめないで」を
ちゃんと受け取ってくださっている感想文に、
私もますますの勇気をいただきました。
みなさんの意見を今後の講演などに生かせたらと思います!
みゆ
ーーー
みゆさま

人って、誰かの反応によって自分を知ることができますもんね。
みゆは、人からの反応も
自分と「鏡」や「出来事との関連」から生まれる
自分の反応も感じられなくなって、
自分自身の存在も見失いそうになったけど、
自分自身の内なる世界も大切にして、
外の世界の手応えを感じるのが大変になっても、
がんばって人との関わりを持って、
自分の世界を切り開いてきたおかげで、
再び、形は違うけれど、いろいろな
反応(リアクション)を受け止められるようになったから、
そのリアクション(反応)で、自分自身を見つめ直すこともできるし、
客観的に見る機会も得て、もっともっと成長して、
いい講演もできるようになるんでしょうね!
ゆゆ
ーーー
みゆより

盲ろう者は客観的になれる機会も少ないから、
結果、主観ばかりに頼ることになってしまうんだなーとも感じました。
だからもっと、お互いにお互いを知ることができる、
そんな機会があったらいいのになあ、と思いました。
ーーー
そうだね!
終わりました!
今日は某有名私立大学で授業の1コマをいただいて、
「もうろうというハンディとその支援」についてお話してきました。
この授業は、毎回いろんな障害のある方が
1コマずつ授業をしているそうなのですが、
前回の視覚障害の授業を聴講していた
私の母校のお友達が、聴講にきてくれていました…。
会えてうれしかったですが、「聞かれたくなかったよーー」という、
複雑な気持ちでした!
でも、知り合いの先生がうまく進行してくださったので、
私も緊張せずに、もうろうのことを知っていただけたかな?といったかんじです。
まあ、私なりに頑張って、私にできることはやれたので、
よかったかと思います。
それにしても、私としては、自分の大学の学部時代の経験上、
サボったり、寝たり、そういう光景をよく見てきたので、
そういうもんだと思っていたのですが、さすが優秀な大学の学生さん?!
まじめで、シーンとして、私の話を聞いてくださいました。
いろいろ質問もしていただいたのでありがたかったです。
授業が終わったあとは、キャンパスにあるカフェでひといき。
この大学に来ることって、もうないだろうから、
銅像の前で写真をとってみたり、
ちょっとミーハーなかんじですが、
大学のイメージキャラクターとかいて、
観光気分でおもしろかったです!
また1つ、よい経験をさせてもらいました。
お世話になり、ありがとうございました!
みゆ
ーーー
みゆさま
雨の中、お疲れ様でした!
無事、おつとめ果たせたようで、良かったです。
そこの大学にイメージキャラクターとは
知りませんでした!かわいい?
ーーー
今日、雨ですっごい大変でした!
タクシー券を使って、タクシーで行きましたよ。
でもタクシーの運転手さんがとっても親切で
緊張をゆるめてくれたのかも??
今日はかなりつかれてしまったので、もう寝ます。
おやすみなさーい。
ーーー
ゆゆより
今日は、ブログの返信前に
解放感で私信メールのやりとりが続いてしまったので、
みゆもお疲れですし、この辺で・・・
今日の精神分析学の授業では、
「最近急増している新型うつ」について、
テレビ番組を録画したものを授業の後半は見ました。
でも私、この映像を文字おこししていただいたデータを
事前にいただいていて、数時間かけて読んでのぞんだので、
みんなが映像を見ている間(1時間くらい?)、
「どうしようかなー、動くと目立つしなー」、と思っていました。
読んだものと同じ内容の通訳を受けるのも、
時間がもったいないなと思ったからです。
今日は、明日の他大学のゲスト講師の練習的なこともしたいし、
日曜に投票に行く参院選の候補者についてももっと研究したい。
そんなわけで結局、学生さんたちがディスカッションにうつったすきに、
先生の了承をいただいて、教室をでてきました。
従来のうつ病は、比較的まじめで責任感が強く、
勤勉な人が失職や長時間労働など、
大きなストレスを受けてなることが多かったのですが、
「新型」は、周囲からは些細に見えることでも、
深刻に受け止めてしまい、原因が外ではなく、
自分自身の考え方や性格にあることが多いそうです。
私は雇われたこともないし、
上司に1人前に育ててもらうために厳しくしてもらうなんて、
とてもうらやましい状況に思えるのですが、
人からもれきく話を聞いていると、
やっぱりつらい状況があるのかな、と思います。
私が会社に就職していたら、どうだったんだろうなーと思いました。
さて、大学キャンパスの出口のところには、
「ミスコン」の告知をする看板が。
候補者の写真入りプロフィールがあって、その写真が
「振り向き美人」みたいなアングルでした。
通訳・介助者さんと、「どんな子?」とか、「だれがいいか?」とか、
その子たちの特徴や学科を聞いたりして、
学部時代は興味なかったのに、今はおもしろがって、
想像しながら眺めていました。
さて、休憩おわり!
みゆ
ーーー
みゆさま
ディスカッションは参加したくても、
みんなのペースを考えると遠慮して参加できないしね・・・
ブログのお返事、一応書いたんですが、
みゆは明日のことで多分頭がいっぱいなので、
ブログの返信をみゆに送るのは明日にします!
明日も、いい出会いといい経験の1日になりますように!!
ゆゆ
今日の“星の王子様”の授業で、先生が私のことを紹介してくださり、
先日の「からころ」に載った私の記事のコピーを配布してくださいました!
“星の王子様”の作品と、私の人生を絡めてお話くださったのですが、
聞いている学生さんたちの心に、
私は「同じ教室にいる謎の障がい者」ではなく、
「誰か」を感じてもらえていたらうれしいです。
みなさん、これから大学を卒業して社会に出たら、
きっと挫折することももっともっと多いだろうけれど、
「そういえばこんな人もいたなあ」って、
苦しいのは自分だけじゃないと、あきらめたりしないでもらえたらいいなぁ。
先日、先生のお友達が立ち向かわれている苦難のお話を聞いて、
「なんとか元気になってほしいな」、「私にできることはないかな…」と、
でしゃばってしまった私は、
著書を先生にプレゼントして、
「こんな人もいることを、先生からそのお友達に伝えてもいいと思われたらお話ください」
というようなかんじで渡したんです…。
(それは、その方を思ってやったことだとしても、
その方にとっては(直筆のお手紙をいただいたのですが)どう感じられたのかわからないし、
自分の軽はずみな行動に、自分自身、後で後悔した一件だったのですが… )
おそらく先生は、そういう考え足らずな私の気持ちも
理解してくださったのかもしれません。
あぁ、穴があったら入りたい…。
そのうえ今日は先生のご著書を読む機会をいただきました。
それは、先生の著書なんですが「シモーヌ・ヴェイユ」という
フランスの若くして亡くなった女性の思想家について書かれています。
ー「権利」概念に対する「義務」、
「人格主義」に対する「非人格」を基盤にした思考など、
近代的人間観の矛盾を根底的に問うたヴェイユの思想の核心と
その現代的意義を鮮やかに示す気鋭の野心作。
彼女の生涯を貫いているのは「他者を生かすため」の思想の模索であり、
それを徹底的に知的に考えぬき、さらに行動に移すことを厭わない生き方
ただそれのみに他なりません。
(amazonより)
これから地域の点訳サービスに出そうと思っているので、
中身はまだ読めていませんが、哲学のような深い思考をじっくり読むのがすごく楽しみです!
みゆ
ーーー
みゆさま
ほんと、みゆとこうして対話(やりとり)をしてみれば、
みゆが障害者だなんて、すっかり忘れてしまうのに・・・
はたから見たら、大変な障害者なんですよね・・・
実際、生活していく(生きていく)のは本当に大変なんですが、
中身はしっかりした一人の女性です。
しかし、「日本の若くして亡くなった思想家」なんて言われないように
元気に毎日を過ごしていただけますように。
みゆが、
「自分が相手のことを思ってやった行動だけど、
相手の方にとってはどうだったかなあ・・・」と悩んだり
「その人のために自分ができることはなんだろう?」と
頭を悩ませて、それがいい意味で受け止めてもらえたら、
ほっとするように
周りの人も、みゆに対して、
「どんなお手伝いが必要で、自分ができることは何かあるか?」
「(手伝った上でも)それでよかったのか?」悩んだりしていると思うんです。
だから、みゆが我慢しすぎないで(しないのは無理だろうけど)
わかりやすいことは、周りも助かるとおもいます!
先生のお話し、聞いてみたかったな!
ゆゆ
ーーー
みゆより

あー、そうか。そうですよね…
私は、「もっと傷つけてしまったかな…」と心配になりましたが、
でも、自分なりに一生懸命その人を思ったことを、
相手がわかってくれたら、とってもうれしいんだよなあ…
私もまわりにそう思わせているかもしれないことに気づかされました。
ごめんなさい。
ーーー
↑ ごめんなさい、って申し訳がらなくても、
みゆが「申し訳なく思い過ぎず」に、受け取ってくれて
楽しそうだったら、周りの人も嬉しいし、楽しいってこと!!
本当は、この数日、ちゃんとみゆはブログを書いていたんですが、
お互いの諸事情でアップせず、4日ぶりとなってしまいました。
その返信もかねて、
「みゆが楽しいなら、相手の人もきっと楽しいよ!」
ゆゆ