大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ

カテゴリ:盲ろう( 204 )


第3弾!
今度はにんじんを使った
パウンドケーキをつくってみました。

にんじんをすりおろし、
くだいたくるみと混ぜて、
洋酒につけたプルーンと混ぜ混ぜ。

レシピは母が教えてくれるままなので、
私が小さいころに食べた昔なつかしの味。

母が千葉に行ったときに、
100均でエッフェル塔の容器を
ゲットしてきてくれたので、
ワクワクしながらそれを使いました!

明日の“雑誌の編集会議”で、
通訳してくださる方に食べてもらおー!
(もちろん、自分も食べます!笑)

明日の会議にむけて、
次号の企画を考え中ですが、

いまだ、企画って
どうやるのかいまいちわかりません。

当事者のみならず、
みなさんが興味を持ってもらえて、
もうろうだからこその視点でかける、
読みたいと思ってもらえる記事
ってなんだろう…。

自分自身の関心と、
ちょっと違うから難しいんだなあ…。

でも、大変なのは
そんなことではなく、
原稿を見ながら、
みなさんの指摘個所を
確認できないということ。

会議の中で
原稿をチェックするなんて
絶対不可能なので、

家で読んで、書き出していきますが、
会議でチェックが入った場所は
会議中に読み直せないので、
目と耳が使えるってことが
すごいことだと思います。

目・耳・鼻・足・手・口…。
1つが使えないと
使える人と同じようにやるためには
時間がかかる。

たとえば、目・耳・足が使えなくなると、
使える人と同じことをするのに
3倍以上時間がかかってしまいます。

それでも、できないことはできないし、
そうしたら、同じことをするよりも、
お互いの優れた部分を
生かしたほうがいい気がします。

…そんなことを考えながら、
毎回編集会議に出てますが、
それでもやめていないのは、
どこかにやりがいやおもしろさを
感じているからなんだろうなあ…

みゆ

ーーー
みゆさま

明日の天気は
荒れるようです。

出かける頃には、
落ち着いているように、
祈ってます!

ゆゆ

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by mi-yu-yu | 2018-03-01 00:28 | 盲ろう | Comments(0)

バリアフリー


“バリアフリー”

なぜ、バリアフリーにしてもらいたいかっていうと、
私の場合、自分が我慢するくらいならいいのですが、

一緒にがんばってくれる人たちがいて、
その人たちへの負担や大変さがふえてしまうから。

段差を超えられなかったり、お店に入れなかったり、
映画を観られなかったり…。

あきらめざるをえないことは、もちろん悲しいけれど、
あきらめる心は、当然もっています。

その中で、できるだけ自由に生きられることを考えているわけです。

でも、「一緒に楽しめると嬉しい」と思ってくださり、
がんばってくれる人たちを疲れさせてしまうことは、

私にとって、物事をあきらめなければならないことよりも
もっと悲しいことなのです。

つまり、何が言いたいかというと、

「バリアフリーであることは障害者のためだけではなく、
介助者にとっても大切なことで

介助者が援助しやすいことが、より障害者のためになる」
と思うのです。

私の住んでいる東京都もいろいろ考えてくださっていて、
新しい条例のために、様々な調査や会議をしてくれています。

東京の友の会からの意見書として、
重複障害のバリアフリーや、
私も車イス利用者としての意見を提出しました。

介助する人の大変さを考慮していただけたら嬉しいです。

みゆ

ーーー

ゆゆ171.png

なるほど確かに。

みゆはもう、車椅子の上で
「まな板の上の鯉」
介助者におまかせするしかないなかで、

その人に苦労をかけていると思って
苦しんでいること、ある(多い)よね。

でも、介助のためのエネルギーが
少なくなればなるほど、
楽しみにエネルギーを注げて

みゆと介助者、双方の
ハッピー度があがります!

(ハードルが高すぎたり障害ばかりだと
 介助者もエネルギー吸い取られます。めげます。)

みゆを楽しませたい、
一緒に楽しみたいと、
介助者もみゆと一緒に頑張ってくれて、

大変さを分けもってくれて
いるんですものね。

そして、そういう方が
沢山いてくれるほど、

ゆゆも安心してラクチンなのだ。

だから、バリアフリーがすすむと
介助してない、ゆゆもハッピー。

ハッピーな人が増えると
その周囲もハッピー。みんなハッピー。

どうか、いろんな場面で
バリアフリー化、よろしくお願いします。

ゆゆ

ーーー
みゆより179.png

お返事ありがとうございます!

ゆゆさんは、介助というより、メンタルサポートだと思います。
…というか、ハッピーメーカーだから、

それこそ、支援者と当事者が円滑にお互いを大切に、
力を発揮できるために、
いい環境づくりやお互いに気持ちよい関係をつくるための
心の状態への支援をしてくださっていると思うので、
それこそ介助やコミュニケーション支援と同様に、
重要な支援をしてくださっていると思います。

おやすみなさい。

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by mi-yu-yu | 2018-02-20 22:52 | 盲ろう | Comments(1)

みゆちゃんの週末


昨晩はカピバラさんの先輩ご夫婦とのポルトガル料理のお食事でした!
すごく緊張していて、余裕があまりなかったのですが、
私の手に手書き文字もしていただきました。

お料理もとりわけていただき、ごちそうしていただき、
ありがとうございました!

顔や雰囲気はわからなくても、お話の内容から、
生き方のかっこよさをビシバシ感じました。
それも、ご夫婦の仲がよくて、あこがれてしまいます。

海外にも詳しく、バリアフリー体制の行き届いた国など、
いろいろと教えてくださいました。

「遊ぶために働く」という言葉は、
「働きたい働きたい」と思っている私の心にしみました。
人生を楽しむことが大切で、働くことはその手段であること。

わかってはいても、つい
「働くことがすべて」のように思ってしまう私にとって、
理想的な生き方でした。

そして、私のハンディに配慮はしていただきながらも、
気を遣いすぎていない会話が、私にはとても心地がよかったです。
またお会いしたいなあ…。ありがとうございました!

そして日曜は、とっても久しぶりに、
盲ろう者の交流会に参加しました。

このところ、私が1年の中で唯一毎年かかさず
頑張って参加している交流会です。

その内容は、“来年度の事業を考えよう”。

来年度から盲ろう者が使いやすい同行援護
(本来は視覚障害者の移動支援ですが、
それをもうろう者に使いやすくした支援サービス)
が始まるのですが、
大まかにいえば、それを含めた事業展開の説明です。

でも私は、事業のことについては、
いつも理事会で理事と事務局でグッタリするほど
何時間も話し合っているので、
改めて事業についての説明を聞きたいというわけではなく、
他の会員のみなさんのご意見やご要望、考えを聞きたいと、参加しています。

まあ、めったに会えない人たちや、
ゆび点字通訳者以外の方とはこういう場でないとお会いできないから、
久しぶりに再会できた方とお話できて嬉しいことも多くありました。

でもそれにしても、みなさんのお話を聞いていると、
支援する側、される側、それぞれ大変だな…、と思いました。
どうしたらみんなが満足して暮らせるのでしょう??
それは無理なのか??

いや、人ごとのようですが、私に関わる人達の
誰もが、いやな気持ちにならないように、
考えていかないといけないな…。

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by mi-yu-yu | 2018-02-19 19:36 | 盲ろう | Comments(0)
“映画のバリアフリー”
「いいな、私も見たいなー、おもしろそうだなー。」

映画の話をまわりの人がしているとき、
話を聞いていて、そう思っています。

でも、どうせ無理なんだ、
それなら、はじめから見たくないと思おう…、
としてしまう私の心理。
(←本当に興味がないこともあるのですが)

見えない方のためには音声ガイドつき上映、
聞こえない方のためには字幕つき上映があるけれど、
もうろう者は…?たいてい、どうやっても映画をみれません。

“バリアフリー映画研究会”が、
“もうろう者も映画を楽しめるように”と、
通訳・介助をそれぞれにつける形で上映して、
その場合は映画を何度かに分割し、
合間に休憩を入れながら行ったりするのですが、
まだまだ“バリアフリー映画研究会”も始まったばかり。
そうして観られる映画も、ごくわずかです。

それでも、そんな“バリアフリー映画上映会”を
何度かやってくださっていますが、
私としては“無料ではなくても、
一般の方と一緒に映画を観れなくてもいいから、
映画館の入場チケットと同じくらいのお金を支払ったら、
もうろう者にはメールでのシナリオ提供のサービス”があったらいいのになぁ、と思います。

私はもともと映画館で観る映画が好きなんですが、
もうろうになった時点であきらめました。
昔、耳が聞こえにくくなってきた頃は、
まだあまり日本の映画の字幕上映
(聞こえにくい方などが映画を楽しめるように、日本語の字幕がそのまま出る)がなかったけれど、洋画なら字幕つきがほとんどなので助かりました。

…せめて目か耳どちらかだけの障害なら、映画が楽しめるのになぁ。
すごく悲しかったけれど、しかたがありません。

でも今回、ゆゆさんが「今夜、ロマンス劇場で」の
ノベライズ本を手打ちして、データで送ってくださると言ってくださり、
本当にうれしいです!
でも、全部を打つのは大変過ぎるよなー、とも思う。

日本点字図書館に聞いてみたら、すでに点訳が始まっていて、
出来上がりは12月だそうです。
今、読みたい気持ちが盛り上がってるのになー。

母校で機械を借りて、データにしてもらえないか、
出版社にデータ提供サービスはないか、聞いてみるのがいいのかな?

でも、もし、DVDになるのを待って、
それをゆび点字してもらえるのを待つと、
きっと半年後くらいにはなってしまうのでしょうね…。

私の気持ちをくんでくださり、大変すぎるのに、
そのお気持ちがすごく嬉しいです!
本当にありがとうございます!

みゆ

ーーー

ゆゆ171.png

「電子図書になっていても、
点字に変換することができない」んだということを、

はじめて知りました。。。

みゆ本「手のひらから広がる未来」は
朝日新聞出版の方が
目の見えない方のために
電子書籍とは別に
特別なデータ提供の対応してくれたから読めたのか・・・

今回の映画のノベライス本も
電子書籍だから、電子データはあるはずなのにな・・・

確かにテキストデータで出すと、
広がることを止めることもできないか?

もちろん電子図書から普通にコピペは
できないと思ったけれど、

障害を持つ方へのサービスとして、
データを送ってもらえるかな?
と思って

ノベライズ本の出版社に問い合わせて、

「目の見えない方は、映画を見ることができないので

電子図書のノベライズ本を買って
プレゼントしようと思っているんですが、

電子書籍は点字に変換できない(上記)としても・・・
メールやワードなどの文書をパソコンで読むことはできるので

著作権の問題はあると思うけど、悪用しないので

障害を持つ方のためのサービスとして
電子書籍をテキストで送ってもらうことはできますか?」

と聞いたのですが・・・

出版社としては
「バリアフリーの図書については検討中の段階で
現段階では、対応できない」
と申し訳なさそうに言われました。

映画「今夜、ロマンス劇場で」
の配給会社(ワーナーさん)では、

目の見えない方への音声対応を
スマホにダウンロードできるようにして、

公開初日から
映画鑑賞に対応できるようにしているから、

配給会社に、
「盲ろう者のサービス」も頼んでみようかなーとかも
考えたんだけど、

いろいろ考えているうちに、
名案が浮かびました!!

あのね、カピバラさんが通訳の協力をしてくれたら、

ゆゆが、盲ろう・みゆのための演出を加えた
特別上映会を行います!

映画はたとえ一人で観に行ったとしても、
誰かと共有しているし、見終わった後に、
それを語り合うのも楽しいじゃない?

だから、みゆに
「データにして送るだけじゃあ、つまんないな」
と考えていたら・・・、

みゆならではの上映会を思いつきました!

作品の中で、登場人物がいろんな体験をしているじゃない?

匂いとか、味とか、感触とか!
そういう体験を盛り込んだ上映会はー?

データにして送るにしても、
どっちみち少し時間が必要だし、

ちょっと本を読んで、演出を検討させて!

ゆゆがパソコンでデータにするよりも
ゆゆが「手のひら書き」で本の内容を手に書くよりも、

ゆゆの演出とカピバラさんの通訳で、
早く上映会ができるかもよ。

もちろんDVDがでたら、すぐに貸してあげるけど、
公開中に観たいでしょ?!

その時に指点字で観るくらいなら、
ノベライズ本と、映画を細かく観てきたゆゆの感性?を足して、

今、みゆならではの
上映会をするのもいいんじゃないかな?

これさ、楽しい映画だから、

映画はエンターテイメント、娯楽だから、
気楽に、楽しみながら観ないと。

ゆゆ

ーーー

みゆより179.png

えー、おもしろそうですね!

点字ファイルではなくても、テキストデータがあれば、
私の使っている機械が勝手に
点字に変換して表示してくれるので読めるのですが、

点字ばかりをおうよりも、
ゆゆさんのオリジナル上映会の方が何倍もおもしろそうですね!!

そんな映画観賞ってどんな気持ちになるのかな?
ワクワクしてしまいます!

いろいろと考えていただいて、本当にありがとうございます!
一気に気持ちが晴れやかにはずんでしまいます!







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by mi-yu-yu | 2018-02-16 20:46 | 盲ろう | Comments(0)

観劇


道路に散っているらしいもみじ。

1枚、母が拾って私の手にのせてくれました。
触るもみじで、今日も季節を感じます。

今年ももう12月ですね。
今年はどんな1年だったかなー。

あと何年生きるのだろう。
時間を大切にできているのかな?

さて、先日は、母校の後輩ちゃんがオススメしてくれた劇が
おもしろそうなので、もうろうになって初めて観劇してきました。

新国立劇場では、身体障害者手帳の提示で、
等級によってはチケットの購入は介助者1名が無料、
本人も20パーセントオフになります。

かなりありがたいですが、支援者の立場で考えると、
もうろう者の場合は介助者2名が無料になるともっといいのですが。

今回はカピバラさんと2人で行ったので、
私もなにもいいませんでしたが、
今になって思うと、もうろうの通訳・介助者制度について、
説明してきてもよかったのかもしれません。

ゆび点字通訳は15分交代くらいが基本なので、
観劇のためにはどうしても、介助者は2人になっちゃいますからね…。

でも、段差のところにはエスカルみたいなものがあり、
係の方が誘導してくださるし、移動には問題なく
とても親切にしていただいたのでありがたかったです。

そして、なにはともあれ、舞台は“プライムたちの夜”。
愛する家族が亡くなったあとに、
アンドロイド(プライム)にすることから話が始まります。

今回、登場した役者さんは4人。
映画に比べて、登場人物は少なく、場面も舞台の上のみなので、
シチュエーションは理解しやすかったです。

DVDのように一時停止することはできないけれど、
40分くらいで前半が終わり、15分の休憩。
そのあとに、後半も40分程度でした。

ゆび点字をこんなに長い時間うち続けるのは、
さぞ大変だったと思うのですが、

さらに私も、長時間にわたって
速度の早いゆび点字を読み続けるのもつかれてしまい、
だんだん頭に入らなくなってきたりするので、

打ってもらったものすべてが頭に入るわけでもなく、
おさらいも必須になってしまうわけで、
カピバラさんはとっても大変だったと思います。

だけど、いつも「全然大変じゃないよ」といってくれるカピバラさんのおかげで、観劇することができ、本当にありがたいです。

舞台が終わったあとは、内容の深さになんだかジーンときて、“いかに生きるか、いかに死ぬか”という永遠の問いを感じました。

死ぬのもこわいことだけど、生きることもこわい。
特に、大切な人の死がこわい。

ただ観劇できたことを喜ぶ気にはなれない、
いろんなことを考えさせられる作品でした。
パンフレットを購入したので、週末に読んでもらおーっと。

みゆ

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by mi-yu-yu | 2017-12-06 11:09 | 盲ろう | Comments(0)

朝、目がさめたら

“朝、目がさめたら”

夜の闇と温かい布団にうもれる心地よさ。
お風呂の湯船につかっているみたいに、心の底からリラックスできる。

そうして明日目がさめたら、私は以前の身体に戻っていたりして?
奇跡が起きて、みんなに迷惑をかけなくても、
親や祖父母を悲しませない私に戻っているかな?

カーテン越しの眩しい太陽の光と朝のあわただしい洗濯機や足音で目がさめる。

目が見えるようになっていたら、この家の中の風景や、ルーフバルコニーの景色をみてみたいなあ。
ルーフバルコニーの植物は、どんなふうに咲いているんだろう?

部屋の中には写真がいっぱい飾られているようだけど、
どんな写真を飾っているのかな?
大好きな愛犬の写真が見たいなあ。

年をとった祖母や両親の顔も見てみたい。
祖母のおうちに遊びにいったとき、
まずは仏壇の祖父に話しかけるんだけど、
私は祖父が笑っている遺影だって見たことがないよ。

そんな1つ1つが私にはさびしいんだけれど、
私が苦しんでいたり、イライラしてると、
まわりの人たちは悲しむだろうから。

私はまわりの大好きな人たちを悲しませたくはないから、
だからなんでも感じていないふりをするよ。
みんなが笑っていられたらいいな。

みゆ

ーーー

ゆゆ137.png

「感じていないふり?!」

返信はみゆのみにさせていただきます。。。



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by mi-yu-yu | 2017-11-16 22:52 | 盲ろう | Comments(0)

もう空気は読めません

“もう、空気は読めません”

先生たちには反抗なんてしたことがなく(たぶん)、親の言うことに素直に従ってきた(つもり?)、発病前の私。

人の顔や行動をみただけで「あれが必要だろうな」「こうしてほしいだろうな」とかその気持ちを想像してしまう、思いっきり”空気を読む“タイプでした。

まるで軍隊教育をうけたみたいに先輩や目上の人との上下関係には、まずは礼節をわきまえようというこだわりがあったり(←これは体育会系な部活の影響かなあ?)。
まわりとの協調性はすごく高かったかもしれない。

でも、私はそんな生き方をしてきたから、目と耳や体が思うように使えなくなった今、気持ちばかり先行して行動がともなわず、イライラしたり苦しかったりして生きづらいのかなあ?

“自分の都合でしか動かない”、と思われたことがあるけれど、そうではありません。
そしてそれが当然と思ってるわけでもありません。

相手の気持ちがわからないと言うより、まわりの空気に合わせたくても、合わせられないのです。

「車いすを押しながら、通訳するのも大変だよなあ」と通訳さんに気を遣ったら、なにも伝えてもらえなくなってしまうし。

状況がわからないがために、相手に失礼で自分勝手な行為になってしまったり。

お礼さえ伝えられずじまいになったり、上手くコミュニケーションがとれなかったり。

一般の人にも大変さやストレスがあるのと同じように、私もストレスにまみれているのだ。

そして、視覚情報がないと人となにを話せばいいのかもよくわからない。
たとえば、初対面の方と話すとき、もうろうになる以前は、話題につまったら、相手の年代に合わせた話題をふってみたり、髪形や洋服の話題、まわりの環境に合わせた話題をだしてみたりしたけれど、私はそういう手がかりが何もない。

なんにも見えないし、相手もだまってしまった場合、どうしたらいいのかがわからない…。
見えない・聞こえない私に“空気を読む”ことは全くできないのに、「空気の読めない人」と思われたくないというジレンマ。

私って、なんなのか。
だけど、残されたもので幸せにやっていかなくては。

クリームチーズがおいしい。
人生、生きていてこそだと思う事にします。

みゆ

ーーー

みゆさま

お疲れ様です!!
みゆの日々は確かに、
ストレス満載であろうと想像します。

それを認めて、
「空気を読むこと」は

通訳の方に「ゆだねる」
通訳の方を「信じる」

それが、みゆが
「誰かと二人三脚で生きること」
なんだと思います。

そして、それができているのは、

見えない聞こえない世界でも

「空気を読むのが得意だった」頃の
人と折り合うスキルを活かして

コミュニケーションの質を保っている
みゆの力量でもあると思っています。

それは、みゆの立派な能力です。
みゆ自身の力を精一杯使って、生きていると思います。

ただ、それはみゆが努力で得たものではなく、
(器質的なことだけでなく、気遣いや共同の仕方を教えてくれ、
 守ってくれた親や誰かがいることも含めて)
みゆに与えられた能力や環境の恵まれた部分なんだと思います。

世の中にはそこがうまく働かないこと(発達障害)や
環境の大変さゆえに

人間関係や人とのコミュニケーションに
障害を抱える人もおり、

それも、その人たちの努力が足りないからでも
その人たちが悪いわけでもありません。

「人と折り合えない」とか、
「人を信頼できない」ということは、

それまた生きていく上で、
大変なハンディになることもあり、
その辛さも尋常でないこともあります。

障害の重さや大変さは、
人と比較できるものではありませんし、

それぞれの状況の中で、工夫したり
乗り越えようとしていることが、

人を励ましたり、勇気づけることもあり

這い上がるチャンスのある社会も、
支えてくれる人もいると感じられる社会も

人に安心感をあたえてくれるものになるはず。

でも「人がどう思うか」は
相手が勝手に思うことであり、

「私・自分」にはどうすることもできません。

あえて自分が人を励ましたり勇気づけるために
生きる必要もなく、

時には人から批判されることも恐れずに

ただ自分の道を行くだけなんだと思います。

それが自分の花を咲かせること??

できれば、

ただの「自分勝手」なのではなくて、
相手もそういう「自分」を持っているのだと尊重し

自分を大切にすることが
「誰かを大切にし、誰かにも安心感を与えるものでありたい」と
自分の生き方を律したり体現することはできると思うし、

そうすることは、「自分が自分をどう思うか」に
影響をあたえてくれることになると思います。

「人にどう思われるか」は
いい意味でも、悪い意味でも「手放し」て

「自分が自分をどう思うか」
「自分で自分を認められるか」
に焦点をあてたらどうかな?

「人に褒められるための人生を生きていた」
という(褒められ上手な)みゆなら

自分を上手に褒めてあげることができるはず!

同じことをしたって、
それをいいと思う人、悪いと思う人がいて、

人の思いはその人のものだから、
どうにもできないけど、

自分が褒めてあげられる、自分になることはできるかも。

自分を大切にすること、自分の価値観を信じること
自分の思いや信念を大切にして

人が共同して支えあっている社会の中で
ただ自分をいかせること、できることは何か考え
それをしていくことが

「自分」の生きる道??

人からの誤解
人に思いを伝えるチャンスも少ないこと

他人に迷惑をかけていると思う、
自分でできることが少ない、

自分一人の都合だけでは行動にうつせない、
予定変更も気を使う
(誰かに都合を聞いて日程調整が必要)

自分のやりたいことができない
楽しみを見つけるのも大変

人との違いが大きすぎる
人並みな、ささやかな楽しみすら享受しにくい

近くで起こっていることもわからない、
心を癒してくれる音や景色もない

誰かと共感するにも条件が違いすぎる
この大変さも気持ちも誰にもわかってもらえない!
という気持ち

天気や交通手段にも左右され、
町のあらゆるところに行動をじゃまするものがある。

さらに、それを
一緒に頑張ってくれている人にも悪いと思い、
大変さを気遣う

そんなこんなな日々は、
ほんとーに大変そうで、ストレス満載で

ゆゆの想像力もはるかに超えたところにあるとは
思うのですが、

そんな中で、みゆは
心が病気にもならず(体は病気だけど)

見えて聞こえても大変な他人との共同を
日々、二人三脚でかけぬけ、

人生の肯定的な面を探し、ちゃんと生きようとし

自分勝手どころか、自分をむちうち、
様々な物理的な障害にも屈せず行動し

他人をいたわり(自分ももっといたわって欲しい)
他人と上手に共同し、
自分を活かす道を探している

そんなみゆは、
「本当にがんばっているなー」
「すごい、人間関係の能力高いな」と思うから

みゆの真意や努力が人に伝わらないのは残念だけど

ま、そんなに頑張る必要もなくて・・・

人が思うことはいろいろで
空気を読み過ぎても、うまくいくわけでもないので

「人にどう思われるかじゃなくて、自分がどう思うか」
自分が認めてあげられる生き方を目指すしかないね。

ゆゆ的には、いつも感心しちゃうから
「もっと自分で自分を褒めてあげなよー」
と思うけど

みゆが自分で認められないと意味がないからね。

そうそう、みゆくらいの若いころは、

無職無収入の、所属もない、結婚もしていない
他人から、いちいちとやかく言われるような時代にも

実際にはフルタイムで労力を提供していたから、
誰にも認められなくても、

時には知らない人にひどいこと言われても
「自分だけでも認めてあげるしかないな」と

ゆゆの心の中に
「誇らしげのポーズ」っていうのがあって、
(ポーズの中身は、みゆのみお知らせ)

自分の信念に沿った行動(すごくささいないこと)が
できた時に、一人、

そんな「誇らしげのポーズ」をとっているって話を
周りの人にしたら、なぜかウケて

みんなちょっとしたことで
「誇らしげのポーズ!!」って実践して

情報共有する連絡ノートにも
がんばったことや工夫したことを書いたあとに、

みんなが「誇らしげのポーズ」のイラストを描くようになった
ってことあったよ。

最近は、そのことはすっかり忘れてたけど、
今は「小さなイエス!!」のポーズがあるよ。

友達の(潜在意識の)モグラ君もいるしねえ・・・

人間の友達がそばにいなくても
モグラ君(うちなる自分?)といっぱいおしゃべりしているよ。

うまくいったこと、がんばったことは
自分だけでも認めてあげること

どんなに小さなことでも、しっかり肯定してあげること
それが大事なんじゃないかなー。

まるで、イルカが芸をするたびに
ご褒美の魚を与えるように

小さな一つ一つの動作にも、
「肯定(イエス!)」というご褒美をあげる。

それが「自己肯定感」をあげる秘訣?!

ーー
(実際の例)
ーー

あのさ、、、心の中は自由だから、
思い切り遊んでね。ネタが少ない?

みゆの場合は、モグラになりきるっていうのはどう?
モグラとして世界を体験する。

ああ、「モグラはカワイクナイ」って言われたんだったね。

ゆゆにとって、今仲良くしている
想像上の潜在意識のモグラは
めちゃくちゃ可愛いけど、

みゆが選ぶ動物は、これまた
「人から見て」可愛い動物だったね。

心の世界にも
それぞれ、個性や考え方が出るね。
みゆなりの楽しい心の世界を作れますように。

ゆゆ

ーーー
みゆより

お返事ありがとうございました。
読んでいたら1時間はかかってしまったけど、中身がつまったお返事をくださったことや、ちゃんと考えてくださったこと、寄り添ってくださることがすごく嬉しかったです。私がもうろうになって、病院に入院していたころからかわらない、ゆゆさんの信念なのかもしれませんね。おかげで私はここまで来られました。

以前(数年前かな?)、“自分の人生にYESという”お話をしてくださいましたよね。本にも書いてくださいましたよね?

私はあのころから、自分の人生を肯定しようと思いました。だれかに恥ずかしい生き方はしていないつもりです。そして私としては、それが無理をしているわけではないけれど、“弱音をはかないで生きること”につながっているのかな?と思います。環境や人には恵まれていると思っているので、肯定することで、より“幸せだよなあ”と感じるのです。

でも、それがあんまり自己肯定感につながっていないのかもしれません。
もうろうになって数年の、20代前半のころよりはらくになりましたが、まだもがいているのだと思います。
1つ1つの行動に対するYES!を積み重ねたら、もっと自分の人生に自信をもてるようになるのかなー。

みゆ

ーーー
ゆゆより

「自分に」弱音はいっぱい吐いてもいいし、
ぐちをいっぱいいったっていいんだよ!

そうしたら、反対に
「そんな中で、私ってがんばってるなあ!」
って、いたわってあげたくなっちゃうよ。

心の中にこそ、事情をわかって、
なんでも認めてくれて、
応援してくれる友達がいるよ。

先日、
「人と違うことはかえって素晴らしいことなんだ、
それだけで価値があるんだ!」って、

だれかが書いているのを読んで

みゆも、みゆの本意ではないけど
特異な人生にチャレンジしている
オリジナルな人生まっしぐらに邁進中だから

その人生に、自分なりに取り組んで
自分なりに認めてあげられる人生になったら
すばらしいんじゃないかなーと思い、

いつも応援しています!

では。












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by mi-yu-yu | 2017-11-08 23:11 | 盲ろう | Comments(0)

ひとりだったら

“ひとりだったら”
 私は不幸なんだろうか?

幸福って、なにをもって幸福というか。
それによって、見方は180度かわるのかな、と思う。

人と比べたら、私は不幸だと思われるかもしれない。
でも、そもそもスタートからして違うのに、
人と比べたり、そんなことはしないように心がけている。

私は今の自分の日常にも、それなりに満足をしているので、
それなりに幸福だと感じることはある。

もうろうに加えて身体も不自由な私。
私が「幸福だー!」って言ったら、
「なに強がってるの?」と思われるのかもしれない。

もちろん、猛烈に頭が痛い日や、身体が痛い日があって、
そんな日は「病気が治ったらいいのにな」とか、
(なんで病気なんだろう」と、

こんなにクスリをのまなきゃいけない毎日に嫌気がさしたり、
点滴治療はもちろん痛い。経済的にも痛い。いやなことはたくさんある。
だけど私がもっともいやなのは入院と手術なので、それを避けるためならがんばれる。

「生活音すら聞こえない。まわりに人がいても会話が聞こえなくてさびしい。孤独だ…」、「まわりの状況がみれたらいいのに。わかんないことばっかり」、「一般的な生活(仕事して、料理して、掃除して)をして、好きなように生活をしたかったな…」、「フランスへ行ってみたかったな」。
見知らぬ人(店員さんや居合わせた客など)との他愛のない会話がうらやましい。
電車で釣り革につかまって、景色をみながら移動するのは、今になって、楽しかったなあと思う。

そんなことは元気があるときに思うことで、欲を言ったらきりがない。
具合の悪いときは、どうやってこの痛みから抜け出すかに、私の思考は専念している。

欲望と葛藤はまだまだあると思うけど、でも、あとで「あのときはよかったなあ」というのは、今の生活の中にだってあるんだと思う。
1人ではできないことも多いので、幸福を「1人でなんでもできること」と考えると、私は全然幸福とは無縁だと思う。
落ち込んだり、これからどうしようって不安になったり、同級生がバリバリ働いて結果をだしていると、自分が情けなく思えたり。

だけど、一生懸命私のためにと思ってくれている人たちがいる。
先日も、ゆゆさんがわざわざ家にいらしてくださり、手作りのプレゼントをくださった。
家に遊びにきてくださった人もいた。
週末に母校関係のメンバーで食事会をして、後輩ちゃんともたくさん話して楽しかったな。
「荒さんが復学してくれたおかげで、大学の福祉が進んだよ」なんて、こんなにご迷惑をかけっぱなしなのに、職員さんにめっそうもないお言葉をいただいた。

カピバラさんは本当にかいがいしく、一緒にいると安心できるし、先日の選挙も雨の中、私がぬれないようにと気を配ってくれた。
私が食べてみたいと言ったスイーツを探して、3件もコンビニをめぐってくれた。そんなとき、本当に楽しくて、幸福だと思う。

 私の幸福はみなさんのおかげ。
もし自分1人だけだったら、もちろんかなり不幸なんだと思う。
どうにもできない運命。でも人の力でここまで人を幸せにできることを知った気がする。それが私の生きる意味なのかな?

みゆ

ーーー
ゆゆ168.png

台風の中、選挙に行ったんですねー。
えらかったね。

まだ退院したばかりで
日常生活もなれない頃

(↑リンク貼ってみました)

ゆゆは選挙に行くたびに、

涙を流しながら頑張って投票した
みゆの盲ろうでの初投票を思います。

今回は大型台風だったから、
選挙に行けなかったかなあ・・・と

ずぶぬれの手で濡れてしまった
投票用紙を見ながら

みゆを思っていたけれど、

台風の中でもあきらめなかった
みゆの精神と根性は立派です。

みんなが小さな幸せを感じられる社会で
ありますように。

ーーー
みゆより

返信、ありがとうございます。

私も、号泣した選挙のことを思い出していました。
あのときは、母と2人で行って、2人で号泣して。

いまだ、なきたくなることばかりですが、少し強くなれたのかなー。

苦しいとすぐ自分のことでいっぱいいっぱいになってしまうけれど、
がんばってくださっている相手のことを、少し考えられるようになりました。


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by mi-yu-yu | 2017-10-24 22:03 | 盲ろう | Comments(0)

片道8時間

“片道8時間”

 9月に入って一気にすずしい毎日になりました。
私は体温調整がうまくできなくて、“夜ねる時は暑くて布団をはいでいて、
朝方寒くて目がさめてしまう”という生活を繰り返していました。
結果、見事に風邪っぽい今日この頃です。

 ところで今週の末から、講演旅行で鹿児島にご招待いただいています。
昔から行ってみたかった、本州最南端の地、鹿児島。
飛行機で行ったら3時間くらいなのだろうけれど、
私は新幹線を乗り継いで行くので、なんと片道8時間。

「エコノミー症候群になって大変な事になってしまうから、
1時間ごとくらいに立ったほうがいいよ」と聞きました。
日ごろから車椅子にゆられている私。
車イスでも長時間乗っていると、血流が悪くなり、もものあたりが無性に痛くなります。

それが、8時間!
サポートしてくださる通訳・介助のお2人、どうぞよろしくお願いいたします…。
ちなみにこの旅費などは、すべてご招待くださる団体が、
通訳・介助者の分も負担してくださいます。

私の講演旅行のような遠出には、介助時間の長さから、
どうしても通訳・介助者が2人必要になります。

普通の講演なら、経費は交通費1人分で済むものを、
私を呼ぶともれなく通訳・介助者を2人付けなくてはならないので、経費は3倍。
先方もNPO法人であり、潤沢にお金があるわけではないと思うので、
それでも呼んでくださるなんて本当にありがたいことだと思います。

 しかしなにはともあれ、私には新幹線でのこんな長旅は初めてです。
私の中での鹿児島といえば「天障院篤姫」。
昔、テレビで見ていたNHK大河ドラマ「篤姫」の荘厳な着物の数々を思いうかべたり、
桜島の風景に思いをはせたりしています。食のほうも、いろいろと楽しませていただく予定です。

カゼなどひいている場合ではないのです。
体調を万全にして、脂肪と共に帰ってこなくてはならないのです。

 世界一周が幼いころの夢でしたが、こうなったら日本全国制覇を目指します!!

みゆ

ーーー

みゆさま

鹿児島、元気に楽しんでこれますように!
(お大事に、風邪、早く治してね)

ちなみに、ゆゆも11月に鹿児島に行くので
お土産はいらないからねー。

鹿児島の空気、美味しい物、
新しい人たちとの出会い!

存分に楽しんできてね。
温泉もたくさんありますよ♪

よい旅を〜

鹿児島のみなさん、よろしくお願いします。

ゆゆ

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by mi-yu-yu | 2017-09-05 21:38 | 盲ろう | Comments(0)

都庁での要望懇談会

『都庁での要望懇談会』

「ぼくたちは、もっともっとと要望しているのではありません。
適切な支援を与えていただき、他の都民の皆さんのように生活ができれば、
ぼくたちは恩返しができるように精一杯がんばります。
それは支援をしていただくということに対する責任だと思っています。」

先輩は都の方々との要望懇談会で、そう言った。
私も、本当にそうなんだよなあ、と思う。

支援を受けるために、税金を使わせていただいている。
けれど、それを当たり前だと思っているわけではなく、
私たちも自分たちでどうにかできないかを考えたりしている。

私たちもなにかできることはないか?

マッサージなどの免許を持っている人もいるので、
そうしたそれぞれの得意分野で感謝を伝えられないか?
と、話し合っていたりもする。

要望懇談会は、都が1年の予算を決める前に、
障害当事者の話を、都庁で直接聞いてくださる貴重な機会だ。

私たち「東京もうろう者友の会」の6名の理事と、
それぞれの通訳・介助者と、職員さん1人は、

与えられた時間内で、それぞれが話をしたり、要望事項の説明をする。

私たちは10数人の大勢で訪れているが、
都の方々はお忙しい中、
私たちの話をよく聞いてくださり、メモまでしている。

とても感謝している。

当事者の意見を聞かずに、障害をもたない人たちだけの想像だけで
ものごと(支援内容や政策)を決めてしまうということは、
ピントのずれた机上の空論になりやすい。

だからこそ、私たち当事者も声をあげていかなければ…と思う。
でも、それが多少荷が思いときもある。

生活をするのに、いちいち説明がいるのは、
しかたがないことなのだろうけど、
時間がかかるし、その違いにまわりにも注目をあびる。
障害者が外に出にくい原因でもあるだろう。

私は耳が聞こえなくなり、
外出には車いすを使うようになり、
目も見えなくなった。

それで、気にしていた他人の目もわからなくなった。
そのため、もう開き直っているのかもしれない。
そうでないと、私は生きていけない気がする。


ーーー

みゆさま

以前、通訳・介助者の方に
「みゆちゃんは、とても活躍してますよ!」と
聞きましたが、

本当に、活躍していますね。

最初の頃は、みゆ自身、
生活上の困難も大きく、複合的すぎて

人間関係や社会との関わりにおいても

その「盲・ろう」という
掛け算の重複障害から派生した、
想像を超えた複雑な影響力もあって、

自分でも、「何がどう困っているのか」
「何をどうしたら、辛さが軽減されるのか」
わからなくて、困っていたけど

ほんと「一言で言えない」どころか、

説明困難なほど、複合的な困難を
抱えているのが「盲ろう者」だなあ・・・と

ゆゆも言葉を失うほど圧倒されたのですが、

盲ろうの先輩方と一緒に、
盲ろうの「困難」と「可能性」を追求していくことで

みゆ自身も
障害への理解が深まっているのではないでしょうか。

思いがけず、福祉(の仕事)からは
すっかり撤退してしまった
ゆゆですが、

ゆゆにとっては、
「福祉」や「障害」が特別なこととしてじゃなく

同じ人間の一部として
「自然なこと」になっている
とも言えるので

またいろいろ教えていただければ、
どこかで活かされることもあるかもしれません。。。

ゆゆ

ーーー

みゆより

お返事ありがとうございます!

いや、全然活躍してないですが、
というか、私には無理ですが、

このブログの最初のころを読むと、
悩みとか不安ばっかりで、
どうしようもなかった自分がいるなあと思います。

それをゆゆさんのおかげで和らいでいることに感謝しています。

でもやっぱり、盲ろうになる人がこれ以上増えない方が嬉しいですが。。。


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by mi-yu-yu | 2017-08-17 21:39 | 盲ろう | Comments(0)