“無力である。”
1カ月ほど前に、
同病(神経線維種症2型)の知り合いに
体調お伺いのメールをしましたが、
返信がずっとなかったので、
「ああ、体調が悪いんだろうな…」
と心配していました。
この病気について、
少し詳しくなった私。
進行性なので、
私のようにもうろうになって、
車いすユーザーになって、
コミュニケーションにも困るようになって、
外出困難になって…
という方を何人か知りました。
その方に初めてお会いしたときは、
手がとっても冷たかったのが
印象に残っています。
それで、私の顔を触って、
手をにぎにぎして、
最後まで私の手をずっと離さなかった。
私を妹みたいって言ってくれました。
言葉は元気だったけど、
きっと、だれかのぬくもりを
感じていたかったのだと思うし、
家族以外と話す機会もあまりなく、
ものすごく不安なんだろうな、
と思いました。
最近になって、
やっと返信をくれましたが、
やっぱり、具合がよくないようでした。
私も、この季節のかわり目、
体調不良で、頭痛と上半身がむちうち?みたいに痛い。
自分の生命の危機だと、
他人のことを気遣えなくなりがちなのですが、
でも、体調が優れない中、
すごく明るいメールをくれるその方。
私が元気をもらってしまいましたが、
なにかできることはないのかな…。
あまりメールもできないようだし、
その方に会いにいくのがいいかな?
と思ったけれど、
その方が家の外に出るのが難しい状態だし、
私も慣れない家にはあがれないだろうしなあ。
自分の無力さが悲しい。
共生社会ってなんだろう。
心が痛いなあ…
みゆ
ーーー
みゆさま
みゆだけじゃなくてさ・・・
みゆや相手の方が、
病気で自由に会いに行けないからじゃなくて、
ゆゆだって、
そういう時はそばにいたって、
無力なんだよ。
でもさ、そうやって、
励ましあえる人がいることや
「みゆならわかってくれるかな」
「みゆもがんばっているかな」
って思う相手がいることが
相手にとっても
心の痛みが和らぐことに
なっているかもしれないね。
「ひとりじゃないんだな」
って思えるかもね。
ゆゆが、その方のそばにいっても、
本当に無力だけど、
行かなくても、「みゆの存在」が、
微力になっているかも。
ゆゆ