人生は苦行?(その2)
2018年 02月 07日
新しい記事が1つふえるけど、前のとつづけて読んでもらえるだろうし。
私はゆゆさんの返信で、頭がおかしくなりました。
いつもそんな感じですが、自分にはない気づきをいただいてます。
日々の苦しみも、人によっては苦行になると思います。
それで、私は今が苦行だとはあまり感じていません。
というのは、病気になる以前と比べたら、
もうろうになったのは、
だけど、同じ場所にいながら、私だけ会話に入れなかったり、
目や耳が使えて健康なら、それだけでどんなにいいか、
でも、それを昔の私は気づけなかったから。もったいなかったなー。
何で私達が障害を背負うのかって。お互いに障害の内容は違えど、中途であることには変わりなかったから、色々話したよね。
だけど、仕事の人間関係で本当にうまく行ってない今、当時とは全く違う種類の苦しさがあるなって思った。
苦しさって、その度違うように感じるから、どれが一番の苦行ってないんだろうね。だから「人生は苦行」っていうのはしっくりきました。
人間っていくら苦しんでも、今感じてる苦しさが「一番苦しい!」って思うこともあるのかなって。
その2を楽しみにしています!
今よりもずっと聞こえていた頃の方が、私も聞こえに対してはもっと苦しみをもっていたな。今まで当たり前のようにできていた「コミュニケーション」が取りにくくなったからね。
最近は聞こえに対して、苦しさを感じることが少なくなってきたかな。うまく聞き取れなくて、聞き返すと嫌な顔する人たちと付き合わなくなってきたからかな。
いや、今感じている苦しさの方が、「今は」上回っているんだよね。でもきっと、この先違うことが「一番の苦しみ」になるだろうし。
だけど、全ての苦しみは、無駄にはならないって、かなり後に気付く気がする。
苦しいときは「何で私だけ…」ってドン底に落ちるけど、振り返ると「あのときに、こんなことがあったから、今の私がある」って思えるんだよね。
ゆゆさんは苦しみの先が見えるドアへと導いてくれるような気がする。そのドアを開けられたときは、苦しさを乗り越えたときなんだろうね。