大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ
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人生は苦行?(その1)

“人生は苦行なのか?”
去年の秋以降、母校の科目履修で倫理学をとっていました。
いかに生きるか、いかに死ぬかの問いや、世の中にあふれている力と宗教、エゴイズムの問題についてなど、考えました。
その中で、“人生は苦行なのか?”ってことについて考えるに至りました。

考えてみると、16歳で難病になり、身体を痛めつけられているだろう私の人生を振り返れば、“人生は苦行でしょー!!”と思われるかもしれない。
でも、今思い返してみると、“そうかな?”とも思います。
だって、そのとき苦しくて苦しくて、もうダメだと、あきらめそうになったことも、そのときどきになにかしらの“救い”があったんだもの。

もちろん、その苦行?みたいなものがなかったら、もっと楽に生きれたのかな?と考えることもあります。
就職もほぼ決まっていたし、やりたいこともたくさんありましたので、それができた人生を想像してみることもあります。
(そういえば、マーチングバンドや、青年海外協力隊もやってみたかったなー)

苦行みたいなものがなければ、それができていたのかもしれないから、そうなっていたらよかったかもなー、というのは思います。
(好きなようにストーリーを展開してみるのは得意分野)

でも、それは
私の勝手な想像でしかなくて、私の経験した苦行?がなかったパターンの人生が、本当に想像通りにもっと素晴らしいものだったのかはわからないんですよねー。
違う人生を生きたことがないから、想像しかできませんし。

…というか、つらい経験のない幸福ってあるのか?とも思います。
なにもなくて、幸福に気づける人はまれじゃないかな?
だから私は苦行があることは悪いことだとは思いません。

それに、私が好きなフランスの哲学者・アランは、“幸せはドアをあけていたからといって、勝手に入ってきたりはしない”、
“試合をする前に負けたと言うな”
というようなことを言っていますが、幸福や満足感は苦しみをを乗り越えようとした結果として得られたり、感じられたりするものではないか?と私は思っています。

苦しみがなくて得られるにこしたことはないだろうけど、私は苦しみがなければ、自分のおかれた環境のありがたみを感じられなかったタイプなのかもしれないし、進歩もなかったのでは??ということだとも思います。

苦しみに対して、どうにかしようとするから、まなびや得るものがあるのでは…?

ホリエモンこと、堀江さんは著書で、「ゼロに何をかけたところで、ゼロのままだ。物事の出発点はかけ算ではなく、必ず「たし算」でなければならない。
まずはゼロとしての自分に小さな1をたす。小さな地道な1歩を踏み出す。
人生にマイナスなんて存在しないのだ。
失敗しても例え、全てを失っても、
ゼロと言うスタートラインに戻るだけ」

いろいろ失ったように思っていた私としては、そんな心境なので、むしろ人生は苦行であることがありがたいのではないかと思っています。

なーんて、苦行やそのふってきたものの過中にいたら、濁流に飲み込まれそうなところを必至にもがいているわけで、客観的に、落ち着いて思考できるわけないんだけど。

困っていることは山ほどあるけど、今は私の病気の症状が落ち着いているからこその考えなのかもしれません。みゆ
ーーー
みゆさま179.png

今、みゆの人生は、「苦行」なのかな・・・?

長い返信を書いてしまったあとで、ふと思いました。

これは、どういうスタンスで書いたのか?

「16歳の頃からいつかまでが苦行?」で、
「今は違う」ってこと?

「人から苦行と思われる」だけで、
「自分はそうではない」という話?

いや、
「今も苦行なんだけど、苦行がありがたい」
っていう話?

16歳より今の方が
病気や障害は大変そうだけど、

どんなことを「苦行」と言ってるのかな。
聞くまでもなく、とっても「苦行」そうだけど、

どんなことを「苦行」と定義しているのか、
人によって「苦しみ」と感じるところが違うからなあ。

みゆにとっての「苦行」とは?

「16歳からが苦行で、今は違う」となると、
みゆの「苦行」は
病気や障害の重症度や不便さとは違うようですね。

「人生の苦行」とはなんでしょう??

みゆのブログを読み返してみると
「今は苦行じゃない」
っていうスタンスだったみたいですね。。。

ゆゆの読解力が・・・衰えています。
今日の日付も思い出せなかったしな・・・。


(ゆゆが感覚だけで読み取って書いたコメントは、、、)

みゆは、今、苦行をがんばっているんだね。
確かに苦しそう・・・

「人から苦行と思われるかもしれない」
じゃなくて、みゆが自分の日々を
「苦行」と感じてるんじゃないかな。

毎度のことながら、なんで、
「人から苦行と思われるかもしれないが」とか

「人がどう思うか」が先に来るんだーーー?!
「自分がどう思ってるんだ??」

「自分がどう思っているのか」

それを感じて認めてあげるのも、
苦行を乗り越えやすくするかもよ?

「苦行がありがたい」なんて

ゆゆは
「本気かーーー?」「まじかー??」と思う。

「若いときの苦労は買ってでもしろ」というけど
買ってまでしたほうがいい苦労と

やむにやまれず、
降りかかってくる苦労があると思います。

「どんな体験でも役立てていこう!」
というみゆの心意気は素晴らしいんですが。

まずは「苦行」をがんばってる、
自分を認めてあげてよー。

苦しくて苦しくても、そこを乗り越えてきた自分を
ほめてあげてよー。

未来に役立てるために?選んで、
苦行をがんばっているわけじゃなく、

「いやおうなく降ってきた苦行」に取り組んでいる、
自分をねぎらってあげてほしい。

そして、その先にあった、救いとは?
それはどんなもので、どんな風に感じたのか?

それは人が、苦しみを乗り越える
知恵になるのではないかなー。


「ただ、苦しみに学びを求めてがんばる」なんて
ますます苦行になるんじゃないですかねえ・・・

苦行が報われるばかりじゃないし、
苦行があるから幸せになるわけじゃない。

自分のためにならない苦行からは、
足を抜けるんなら抜いた方がいい。

だけど、抜けたくても抜けられないときは、
自分をいたわってあげないと辛いー。

それに抜けたくても抜けられないとき、
やみくもにがんばるのをやめて、

「助けてー」とSOSを出したときに、
全面降伏したときに、
思いがけない助けがあるかもしれません。

「苦行や不足」は、幸せに気づくきっかけ
にはなるかもしれないけど

「幸せ」は頭で考えるものではなくて
その人の「心が感じるもの」だから、

正解も不正解もないし、他人から見てなんて関係ない!
自分がそのとき、どう感じたかだ。

まあ、頭で考えるのが「幸福論」であり
哲学なのかもしれませんが・・・。

ゆゆは「心で感じる派」(実践派?)なので、

自分の感情を麻痺させたりしている場合じゃなくて、
心の感度が大切で、

自分のさまざまな感情に素直なのが
幸せを感じる感度をあげていく
秘訣ではないかなーと思います。

赤ちゃんは幸せが何かとは考えてないけど、
お腹がみたされたり、
自分のニーズが心地よく満たされれば
ニコニコ幸せそうに笑ってる。

別に「幸せだー!」なんて主張してないけど
全身で「幸せ感」をふりまいて、
周囲の人にまで「幸せ感をプレゼント」している。

みゆが、心からの幸せを感じているとき、
周りの人は、みゆのことを「不幸そう」とは
言わないし思わないと思うがなあ・・・

大人になると、赤ちゃんのようにはいかないけど

自分のどんな感情も平等に認めてあげて、その中で
「一瞬の快の感情」をちゃんとキャッチできるか
が幸せを感じる力になっていくんじゃないかなー。

その人の心の感度さえよければ
その辺に幸せの種はゴロゴロ転がっていて、

苦行に一生懸命になりすぎると、
見落としてしまうかもよ??

開かれたドアの向こうに幸せの種が転がっているのに、
「目の前の苦行」に一生懸命に取り組んでいて見落とす・・・
拾いにいかない。それはもったいないことです。

苦行のそばにばかり、幸せの種があると思って
開かれているドアの外を見ないのももったいないことです。

あんまり「苦行」から幸せを見つけようとすると
今いるドアの内側の、苦行から離れたところにある、
「幸せの種」を見落とすことだってあるかもしれません。

「体が不自由だから、ドアが開いていても取りに行けない、
入ってくるのを待っているしかない」といじけて諦めるのも、
もったいないことです。
(これぞ、アランさんのおっしゃる
「試合をする前に負けたというな」?!)

「幸せは、ドアを開けていたからといって勝手に入ってきたりはしない」
(by、上記のアランさん)
でも、取りに行かないと入ってこないわけでもない。

外にあるだけで幸せかもしれないし、
呼んだら入ってくるかもしれないし、

なんにしても、幸せを感じるのは、自分。

それを「幸せ」と感じるかどうか、
どんなものが「幸せ」かは、人それぞれ。

「どれを苦行とするか、人それぞれなのと同じ」

心の感度と心の柔軟さが重要かも。

体の不自由が、心まで不自由にしたらもったいないことです。
体の苦痛が、心まで苦痛にすることはよくあるけど

得意の想像力を活かして?想像の翼を広げて、
みゆの心が「苦行にとらわれすぎる」ことなく
自由でいられますように。

あとね、ゼロになってみるのも
素晴らしい体験ができるかもよ!

あらがうのをやめて、
すべてのことに抵抗をやめて降参するの。

もう「宇宙におまかせだー!!」って。

自分は宇宙の循環やバランスの一端を担っている
貴重な一つの細胞。

今ちゃんと宇宙の中に生かされている、
宇宙にとって価値のある存在。

その体にも意味や役割があるかもしれないけど

それももう、宇宙はスケール大きすぎて
なんだかわからないから、深く考えるのはやめて

「神様、私を好きに使ってください!」と自分を差し出すとか。

千と千尋の神隠しの歌にもあったように

「ゼロになる身体」が満たされていくんだよー。

みゆ、「千と千尋の神隠し」は観れた??
2001年公開だから、観たんじゃないかな。。。

苦行をやめて、ただひたすらゼロになる。
たとえば、ただ「ありがとう」と心の中で唱え続ける。

意味なんてなくても、別に感謝しろという話でもなく
ただ心をゼロにするためにやると

ばかばかしいようで、、、これがすごいんだよー。

赤ちゃんが自然に幸福感を発揮してしまうみたいに、
きっと何か、見えないけど
「その人から溢れ出てくるものがあるんじゃないか」
というくらい、その場の空気を変える何かが生まれてきます。

実験だと思ってやってごらん。
あ、みゆの議論に付き合うのを途中から忘れてた。

人生は苦行なんだったっけ?

ゆゆ

ーーー

みゆが返信をくれましたが、
かなり長くなってしまったので(←ゆゆのせいで)

あらためて、
人生は苦行?(その2)としてアップします。





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Commented by くるみ at 2018-02-06 23:42 x
「苦行」って何だろう…ね。って思っていたら、大学時代の私たちの会話を思い出しました。

何で私達が障害を背負うのかって。お互いに障害の内容は違えど、中途であることには変わりなかったから、色々話したよね。

だけど、仕事の人間関係で本当にうまく行ってない今、当時とは全く違う種類の苦しさがあるなって思った。

苦しさって、その度違うように感じるから、どれが一番の苦行ってないんだろうね。だから「人生は苦行」っていうのはしっくりきました。

人間っていくら苦しんでも、今感じてる苦しさが「一番苦しい!」って思うこともあるのかなって。それも過ぎ去ってしまうと…考えが変わる苦しさだってある。

その2を楽しみにしています!
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by mi-yu-yu | 2018-02-05 22:01 | 思い | Comments(1)