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大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ
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もう空気は読めません

“もう、空気は読めません”

先生たちには反抗なんてしたことがなく(たぶん)、親の言うことに素直に従ってきた(つもり?)、発病前の私。

人の顔や行動をみただけで「あれが必要だろうな」「こうしてほしいだろうな」とかその気持ちを想像してしまう、思いっきり”空気を読む“タイプでした。

まるで軍隊教育をうけたみたいに先輩や目上の人との上下関係には、まずは礼節をわきまえようというこだわりがあったり(←これは体育会系な部活の影響かなあ?)。
まわりとの協調性はすごく高かったかもしれない。

でも、私はそんな生き方をしてきたから、目と耳や体が思うように使えなくなった今、気持ちばかり先行して行動がともなわず、イライラしたり苦しかったりして生きづらいのかなあ?

“自分の都合でしか動かない”、と思われたことがあるけれど、そうではありません。
そしてそれが当然と思ってるわけでもありません。

相手の気持ちがわからないと言うより、まわりの空気に合わせたくても、合わせられないのです。

「車いすを押しながら、通訳するのも大変だよなあ」と通訳さんに気を遣ったら、なにも伝えてもらえなくなってしまうし。

状況がわからないがために、相手に失礼で自分勝手な行為になってしまったり。

お礼さえ伝えられずじまいになったり、上手くコミュニケーションがとれなかったり。

一般の人にも大変さやストレスがあるのと同じように、私もストレスにまみれているのだ。

そして、視覚情報がないと人となにを話せばいいのかもよくわからない。
たとえば、初対面の方と話すとき、もうろうになる以前は、話題につまったら、相手の年代に合わせた話題をふってみたり、髪形や洋服の話題、まわりの環境に合わせた話題をだしてみたりしたけれど、私はそういう手がかりが何もない。

なんにも見えないし、相手もだまってしまった場合、どうしたらいいのかがわからない…。
見えない・聞こえない私に“空気を読む”ことは全くできないのに、「空気の読めない人」と思われたくないというジレンマ。

私って、なんなのか。
だけど、残されたもので幸せにやっていかなくては。

クリームチーズがおいしい。
人生、生きていてこそだと思う事にします。

みゆ

ーーー

みゆさま

お疲れ様です!!
みゆの日々は確かに、
ストレス満載であろうと想像します。

それを認めて、
「空気を読むこと」は

通訳の方に「ゆだねる」
通訳の方を「信じる」

それが、みゆが
「誰かと二人三脚で生きること」
なんだと思います。

そして、それができているのは、

見えない聞こえない世界でも

「空気を読むのが得意だった」頃の
人と折り合うスキルを活かして

コミュニケーションの質を保っている
みゆの力量でもあると思っています。

それは、みゆの立派な能力です。
みゆ自身の力を精一杯使って、生きていると思います。

ただ、それはみゆが努力で得たものではなく、
(器質的なことだけでなく、気遣いや共同の仕方を教えてくれ、
 守ってくれた親や誰かがいることも含めて)
みゆに与えられた能力や環境の恵まれた部分なんだと思います。

世の中にはそこがうまく働かないこと(発達障害)や
環境の大変さゆえに

人間関係や人とのコミュニケーションに
障害を抱える人もおり、

それも、その人たちの努力が足りないからでも
その人たちが悪いわけでもありません。

「人と折り合えない」とか、
「人を信頼できない」ということは、

それまた生きていく上で、
大変なハンディになることもあり、
その辛さも尋常でないこともあります。

障害の重さや大変さは、
人と比較できるものではありませんし、

それぞれの状況の中で、工夫したり
乗り越えようとしていることが、

人を励ましたり、勇気づけることもあり

這い上がるチャンスのある社会も、
支えてくれる人もいると感じられる社会も

人に安心感をあたえてくれるものになるはず。

でも「人がどう思うか」は
相手が勝手に思うことであり、

「私・自分」にはどうすることもできません。

あえて自分が人を励ましたり勇気づけるために
生きる必要もなく、

時には人から批判されることも恐れずに

ただ自分の道を行くだけなんだと思います。

それが自分の花を咲かせること??

できれば、

ただの「自分勝手」なのではなくて、
相手もそういう「自分」を持っているのだと尊重し

自分を大切にすることが
「誰かを大切にし、誰かにも安心感を与えるものでありたい」と
自分の生き方を律したり体現することはできると思うし、

そうすることは、「自分が自分をどう思うか」に
影響をあたえてくれることになると思います。

「人にどう思われるか」は
いい意味でも、悪い意味でも「手放し」て

「自分が自分をどう思うか」
「自分で自分を認められるか」
に焦点をあてたらどうかな?

「人に褒められるための人生を生きていた」
という(褒められ上手な)みゆなら

自分を上手に褒めてあげることができるはず!

同じことをしたって、
それをいいと思う人、悪いと思う人がいて、

人の思いはその人のものだから、
どうにもできないけど、

自分が褒めてあげられる、自分になることはできるかも。

自分を大切にすること、自分の価値観を信じること
自分の思いや信念を大切にして

人が共同して支えあっている社会の中で
ただ自分をいかせること、できることは何か考え
それをしていくことが

「自分」の生きる道??

人からの誤解
人に思いを伝えるチャンスも少ないこと

他人に迷惑をかけていると思う、
自分でできることが少ない、

自分一人の都合だけでは行動にうつせない、
予定変更も気を使う
(誰かに都合を聞いて日程調整が必要)

自分のやりたいことができない
楽しみを見つけるのも大変

人との違いが大きすぎる
人並みな、ささやかな楽しみすら享受しにくい

近くで起こっていることもわからない、
心を癒してくれる音や景色もない

誰かと共感するにも条件が違いすぎる
この大変さも気持ちも誰にもわかってもらえない!
という気持ち

天気や交通手段にも左右され、
町のあらゆるところに行動をじゃまするものがある。

さらに、それを
一緒に頑張ってくれている人にも悪いと思い、
大変さを気遣う

そんなこんなな日々は、
ほんとーに大変そうで、ストレス満載で

ゆゆの想像力もはるかに超えたところにあるとは
思うのですが、

そんな中で、みゆは
心が病気にもならず(体は病気だけど)

見えて聞こえても大変な他人との共同を
日々、二人三脚でかけぬけ、

人生の肯定的な面を探し、ちゃんと生きようとし

自分勝手どころか、自分をむちうち、
様々な物理的な障害にも屈せず行動し

他人をいたわり(自分ももっといたわって欲しい)
他人と上手に共同し、
自分を活かす道を探している

そんなみゆは、
「本当にがんばっているなー」
「すごい、人間関係の能力高いな」と思うから

みゆの真意や努力が人に伝わらないのは残念だけど

ま、そんなに頑張る必要もなくて・・・

人が思うことはいろいろで
空気を読み過ぎても、うまくいくわけでもないので

「人にどう思われるかじゃなくて、自分がどう思うか」
自分が認めてあげられる生き方を目指すしかないね。

ゆゆ的には、いつも感心しちゃうから
「もっと自分で自分を褒めてあげなよー」
と思うけど

みゆが自分で認められないと意味がないからね。

そうそう、みゆくらいの若いころは、

無職無収入の、所属もない、結婚もしていない
他人から、いちいちとやかく言われるような時代にも

実際にはフルタイムで労力を提供していたから、
誰にも認められなくても、

時には知らない人にひどいこと言われても
「自分だけでも認めてあげるしかないな」と

ゆゆの心の中に
「誇らしげのポーズ」っていうのがあって、
(ポーズの中身は、みゆのみお知らせ)

自分の信念に沿った行動(すごくささいないこと)が
できた時に、一人、

そんな「誇らしげのポーズ」をとっているって話を
周りの人にしたら、なぜかウケて

みんなちょっとしたことで
「誇らしげのポーズ!!」って実践して

情報共有する連絡ノートにも
がんばったことや工夫したことを書いたあとに、

みんなが「誇らしげのポーズ」のイラストを描くようになった
ってことあったよ。

最近は、そのことはすっかり忘れてたけど、
今は「小さなイエス!!」のポーズがあるよ。

友達の(潜在意識の)モグラ君もいるしねえ・・・

人間の友達がそばにいなくても
モグラ君(うちなる自分?)といっぱいおしゃべりしているよ。

うまくいったこと、がんばったことは
自分だけでも認めてあげること

どんなに小さなことでも、しっかり肯定してあげること
それが大事なんじゃないかなー。

まるで、イルカが芸をするたびに
ご褒美の魚を与えるように

小さな一つ一つの動作にも、
「肯定(イエス!)」というご褒美をあげる。

それが「自己肯定感」をあげる秘訣?!

ーー
(実際の例)
ーー

あのさ、、、心の中は自由だから、
思い切り遊んでね。ネタが少ない?

みゆの場合は、モグラになりきるっていうのはどう?
モグラとして世界を体験する。

ああ、「モグラはカワイクナイ」って言われたんだったね。

ゆゆにとって、今仲良くしている
想像上の潜在意識のモグラは
めちゃくちゃ可愛いけど、

みゆが選ぶ動物は、これまた
「人から見て」可愛い動物だったね。

心の世界にも
それぞれ、個性や考え方が出るね。
みゆなりの楽しい心の世界を作れますように。

ゆゆ

ーーー
みゆより

お返事ありがとうございました。
読んでいたら1時間はかかってしまったけど、中身がつまったお返事をくださったことや、ちゃんと考えてくださったこと、寄り添ってくださることがすごく嬉しかったです。私がもうろうになって、病院に入院していたころからかわらない、ゆゆさんの信念なのかもしれませんね。おかげで私はここまで来られました。

以前(数年前かな?)、“自分の人生にYESという”お話をしてくださいましたよね。本にも書いてくださいましたよね?

私はあのころから、自分の人生を肯定しようと思いました。だれかに恥ずかしい生き方はしていないつもりです。そして私としては、それが無理をしているわけではないけれど、“弱音をはかないで生きること”につながっているのかな?と思います。環境や人には恵まれていると思っているので、肯定することで、より“幸せだよなあ”と感じるのです。

でも、それがあんまり自己肯定感につながっていないのかもしれません。
もうろうになって数年の、20代前半のころよりはらくになりましたが、まだもがいているのだと思います。
1つ1つの行動に対するYES!を積み重ねたら、もっと自分の人生に自信をもてるようになるのかなー。

みゆ

ーーー
ゆゆより

「自分に」弱音はいっぱい吐いてもいいし、
ぐちをいっぱいいったっていいんだよ!

そうしたら、反対に
「そんな中で、私ってがんばってるなあ!」
って、いたわってあげたくなっちゃうよ。

心の中にこそ、事情をわかって、
なんでも認めてくれて、
応援してくれる友達がいるよ。

先日、
「人と違うことはかえって素晴らしいことなんだ、
それだけで価値があるんだ!」って、

だれかが書いているのを読んで

みゆも、みゆの本意ではないけど
特異な人生にチャレンジしている
オリジナルな人生まっしぐらに邁進中だから

その人生に、自分なりに取り組んで
自分なりに認めてあげられる人生になったら
すばらしいんじゃないかなーと思い、

いつも応援しています!

では。












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by mi-yu-yu | 2017-11-08 23:11 | 盲ろう | Comments(0)