大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ
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介護の仕事

ゆゆさんへ

最近、ネット記事でブラック企業に働く人についての議論を読みました。
中でも介護の仕事は生活できないほどの薄給のようで、
辞めてしまう人も多いとか。

中には
「介護という仕事は、人がそんなにやりたがる仕事ではない。
大変なのに給料がいつまでもあがらないのは、
それでもコツコツとがんばる人たちがいるから。

それは安い給料でいいと肯定していることになる。」とか、

「介護はだれにでもできる仕事だから給料が安い」
などの意見もありました。

たしかに、大多数の人にとっては、介護みたいな仕事は
「大変で安くても一生懸命やる人がいる聖職」
と認識されているのかな。

そして、それを美とするような風潮が日本にはあるようにも思います。

でも、その世界を実際に経験している人たちは、

それを「よし」とはだれも思っていなくても、
国の予算とか、いろんなことを目の前にして考えて、
お金ではない他の価値を大切にしようと思っている人も
たくさんいるんじゃないかな?

まぁ、そういう考え方をするから
薄給のままにされてしまうのかもしれませんが…。

けれど、だからこそ、私を含めて、
助けられている人も多いと思うし、

それが他国に誇れるような、繊細で柔軟に状況に自分を対応させる、
日本人の気質のすばらしい部分の1つでもあるんじゃないかな、
と思います。

それに、人を助ける仕事をする側に、
「必要とされていると感じられること」に
やりがいや自分の存在意義という、

生きる力をもらっているのだという人の話も、
間接的にも直接的にも、私は何度も聞いたことがあります。

そもそも、介護を「だれにでもできる仕事」
「ロボットの技術が進んだら、必要性のなくなる仕事」
だと考えている人の意見は、私とはちょっとちがうかな、と思います。

そもそも、「介護はだれにでもできる仕事」ではないと思うのです。
それに、仕事をしている、と割り切る部分があったとしても、
介護をされる側もする側も、人間同士であることにかわりはないのだから、

介護される側にも、いろんな人間がいるように、
介護してもらう人との間にだって、
人間同士のかかわりがあったり、感情があったっていいと思う。

前回私が入院した時、私はろくに歩けない状態だったのですが、
最初の時にはなかった、ストレッチャーで
寝たまま湯船につかれる機械があって、

1週間ぶりくらいに温かいお湯につかれることって、
なんて幸せなことなんだろうと思いました。

介護だって同じように、いくら掃除や入浴介助とかを、
機械化やロボットができるようになったとしても、

最後に残る求められるものは、
やっぱり人と人との温かい触れ合いなのではないかと思います。

そして、それって誰でもいいわけじゃないと思うんだけどなあ。
一筋縄では結論が出せないことかもしれませんね。

みゆ

ーーー

みゆさま

真剣に、介護の仕事について考えてみたんですね。

ゆゆは・・・
自分が介護の仕事をして、本当にいろんな感情にさらされたので、

その思いは複雑で、簡単にお返事できるようなものではありません。
そして同じ仕事をしていたって、思いはその人それぞれだと思います。

介護の仕事といってもいろいろだしね。
ゆゆが介護で感じた世界は、

「必要とされているから」とか、
「自分の存在価値や存在意義」とか
「感謝されるのが嬉しい」というようなレベルは

はるかに超えた、そんなに生易しいものではありませんでした。

肉体的にも精神的にもきれいごとなんかじゃありません。
実際に、素手で排泄物にまみれて働いていました。
(病院のようにいちいち手袋したり、
 服のクリーニングだってしてもらえません!)

「聖職」だなんて(←「偽善」という人もいる)
自分はやらない人たちが、

「自分はやりたくないことを
押し付けているだけなんじゃないだろうかー

そっちこそ偽善者じゃないかー(言葉わるっ)!!」と、

遠くから自分の手はよごさず、苦悩もせず、
あれこれいう人に対して思ったこともありました!
(↑ 精神的にねじれます??)

「感謝される」どころか、日常生活を支援しても
苦しみも取れず、意思疎通もはかれない相手に

「果たして、自分のしていることは
相手のニーズに沿っているんだろうか?」
と、日々悩み、

「自分が必要とされる」どころか、
「相手は望んでいないことを社会の一員であるがゆえに
押し付けているのではないだろうか?」

と、苦しむ相手をみながら、自分も苦しかった。

目に入る刺激が辛いのか、自分の目を失明するまで殴る子や
壁に頭を打ち付ける子の両腕や体を抱え込んだまま、

そのおいおい泣き続ける声を体で受け止めるのは
本当に辛かった。

たった二人しかいない夜勤者で、そんな子を抱えながら、
何十人の入所者の安全を見守り、

するりと裸のまま逃走してしまった人(大人)を
もう一人の夜勤者が真夜中に警察まで迎えにいけば、

たった一人で、全介助・意思疎通も測れない人たちを
守らなければならない。どうやって??

大声をあげてもきてくれる人はいない。
何度はらはらする夜を過ごしただろう。

朝、早勤務の人が来てくれて、その姿をみただけで
どれだけホッとしたことだろう。

今でも「社会から切り捨てられたような、
みんなが見ない事にしている世界」が、

この身近な社会の中にあって、

けれど、一つ一つの命の中に「魂」は輝いていて、
それを大切に思う家族がいて・・・

でも家族だけではみられないから、

自分の大切な家族がどんな風に扱われるかも不安になりながら
泣く泣く施設にあずけて、

そこで大切な人が虐待などされないように、
少しでも幸せでいてもらえるように、

自分たちの代わりにみてくれている
職員を気遣いながらも、

大切な人が大切に扱われるように
見守りにきているご家族もいました。

誰かがみなければ生きていけないけれど、

社会としては「どの命も尊厳を持って大切にしなければ」といいつつ

世の中からは見えないことにされている存在があって。
誰かが介護しなければ、その命は守られなくて。

その命を守る大切な仕事を

今日もいろんな思いにさらされながら
担ってくれている人たちがいるということを
忘れないようにしています。

ゆゆ

ーーー

ゆゆさんのお返事をよみ、とても心がいたく、
しめつけられそうになりました。

今日も、そんな話しに関連するようなことがあったからかな、
妙に納得しました。

私も自分が盲ろうになるまで、見ないようにしていたのかもしれません。
でも、自分が盲ろうになって、車イスになって、
社会がかわったように感じたり、

今まで見えなかった、人の温かい部分も、悲しい部分も、
ちょっとわかるようになりました。
お話を聞かせてくださって、ありがとうございました。

ーーー

あ、辛くさせる話をしてごめんなさい!

ゆゆも自分で「働こう」と思って行ったわけではなくて、
まさに天の配剤??だけど

今となってはいい経験であり、そこにも素敵な出会いや
魂の輝きを実感できるようなできごとがあったんだよなあ・・・

あの子たち、今はどうしているのかなあ・・・
今もあそこにいるんだろうなあ・・・(行くところがなくて)

ゆゆ



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Commented by なる at 2016-08-26 21:05 x
介護の世界、私は関わった事がなく無知なのですが、お二人の記事を読んでもっと社会に認められてほしいなぁと思います。
どんな仕事も簡単ではないけど、特に介護の世界はハード面もソフト面も大変なんだろうなぁ…と。
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by mi-yu-yu | 2016-08-24 17:48 | 思い | Comments(1)