大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ
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私の幸せ感

“私の幸せ感”

最近、「幸せってなんだろう」と、あらためて考えます。
「盲ろうだけど幸せです!」と、私は主張したいけれど、

「”障害”と”幸せ”はそもそも関係ないのなら、
わざわざ言わなくてもいいんじゃない?」
そんなふうにゆゆさんに言われて、

自分が無意識に”障害”と”幸せ”を結び付けているんだ、
と気づかされました。

あえて言葉にしなくても、幸せ感は
「雰囲気や表情から伝わる」ものであり、

言葉にならないものからあふれだすものなんだと、
私はまた1つ、学んだような気がします。

結局私も、まわりの優しさに救われて、平和ボケをしているのでしょうが、
それでも、障害による不便さやできないことの多さは、
幸せ感と直接は関係のないものだろうと思います。

「環境が人をつくる」と言っていた方がいましたが、
決して「障害が人をつくる」わけではないからです。

以前、ゆゆさんがマザーテレサの言葉を引用してくださったことがありましたが、
それによれば、“思考→言葉→行動→習慣→性格→運命をつくる”
ということだと思います。

だから、行動は自分の性格をつくるのならば、
障害がどうこうというのではなくて、

そもそも障害が幸せ感に影響するのだとしたら、
バリアに対する思考がその人の性格をつくり、
幸せ感を左右しているのだと思います。

ただ、障害者のバリアに対する思考は、
「障害」そのものに対してではなくて、

まわりの人たちがバリアに対してどのような温かい手をさしのべてくれるか、
それが大きく関係するのだろうなーと思いました。

つまり、私が幸せを享受できているのは、まわりの人たちのおかげです。

みゆ

ーーー

みゆへ

先日、みゆが

「盲ろうだって幸せだ!」と言っても
強がっているように思われて伝わらない。


というので、

みゆの持論が「障害と幸せは関係無い」というなら
「盲ろうと幸せ」も関係ないんじゃない?

「盲ろうだって幸せです!」って言わなくても
「私は幸せです!」って言うのでいいんじゃない?

あえて「幸せです!」と言わなくても、その幸せそうな笑顔が、
みゆが幸せであることを物語っていて、人にも伝わるんじゃない?


と話したことが、今日の話題になっているようです。

ただ、その後の議論の展開は、ちょっとついていけていません。
マザーテレサの話とバリアの思考のつながり・・・

バリアへの人の対応で幸せや不幸せを感じるなら、
それを具体的に書いた方が伝わるんじゃないかなー。

みなさん、じっくり読んで理解してあげてください。

ゆゆ
ーーー

みゆより055.gif

ゆゆさんが引用してくださった、
マザーテレサの話をきっかけにした私見です。

障害をもった私の幸せは、バリアに対して、
“手をさしのべてくれる人がいるか”というのが、
とても大きくかかわっているんだと私は思います。

バリアがあっても、私が幸せを感じたり、生きていける、と思えるのは、
人の力がとても大きいのだと思うのです。
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by mi-yu-yu | 2016-03-31 23:07 | 思い | Comments(0)