大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ
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生きる意味

☆ 生きる意味

「人はなんのために生きるのか」という問いは、
昔からある永遠のテーマですが、

生きている目的を見失ったり、
だれかに必要とされていない自分を感じたり、

自分のやっていることが単調でただの繰り返し、
「意味」がないように思えてしまったりすると、

人はむなしさを感じて、生きている意味を問うようになるのかな。

私も、盲ろうになったばかりの頃はそうでした。
それまで将来の夢のためにがむしゃらに生きてきました。

でも、盲ろうになって、私が未来に描いていたものは
幻想のようにあっさりと消えてしまいました。

なにをしても意味を感じられなくなってしまったのでした。

 そんな時、私は
「難の有る人生は-有り難い人生ー」、
「難の無い人生は-無難な人生-」という言葉を
ゆゆさんに教えてもらいました。

私は今も、この意味をずっと考えているのですが、
最近、「難」がある、ということは、

それだけ考えるべきことが狭まって、
生きることに迷うヒマを与えられていない、ということにもなります。

そしてそれが、-ありがたい人生-であるともいうことができるのかな、
などと思っています。

なんでもできると、「これしかできない」人よりも

選択できることが多いために迷って
つらさを感じてしまうのかもしれません。

どちらが本当の幸せなんだろう?と、考えてしまう私です。

みゆ


055.gifみゆへ

おはようございます。お返事遅くなってすみません。
みゆのメールが来てから、ずーっと考えていたら
日をまたいでしまいました。

「生きる意味」
みゆの文を読んで、いろいろ考えさせられました。

「どちらが幸せなんだろう」

みゆの持論から言えば、

「幸せは自分の心が決めていい!」
んじゃないでしょうかー。

「何のために生きるのか」という問いは、

「意味を自分の外に求めている」ってことじゃないかな、
と改めて考えてみました。

「誰かにとって役に立つ」とか、「存在価値がある」とか。
「何かの目的のために生きる」とか。

「意味を求めないと生きていけない」
「意味を感じないと生きていけない」と思うくらい

存在が揺らぐ大変さなのかと、その大変さを思う一方で

すぐ目標を設定したがる、
死ぬ時まで意味や目標を持たせようとする
「人の習性?」を感じますが

ただ「その日を気持ち良く生きること」を目標としたって
いいじゃないか!と思うゆゆ。


ゆゆは「生きる意味」っていうのはないけど
「生きることそのものが意味」というのが持論で

みゆは「生きることそのもの」が
こんなにも大変な状況なのに

効果もわからない、しかも辛い副作用も伴う
目や耳が使えるようになるための薬としてではない
「生きるため」の高価な薬を必死に求めている、

すごく「生きたい!」と思っている・・・
そんなに「生きたいんだ・・・」

その強い思いを感じていつも感銘を受けています。

「生きることに迷うヒマを与えられていない」と思うくらい
必死で生きているというのがすごいし、

そこまで「生きたい!」って思うことそのものが、

実は人間にとって「生きる意味」なんじゃないか? 
と思います。

この世界の素晴らしさが
きっとみゆには感じられているからなんじゃないか
と思いました。

人は自分の外に意味を求めるけれど、
人のためにだから頑張れることもあるけれど、
(残される家族のために切実に死ねない状況もあるけれど)

本当は、内に(本能的に持っている)
「意味」があるってことじゃないかな。

「誰かのため」にって、一見、立派だけど
本当は、それも「自分の経験のため」

この生命あって、肉体があって経験できることが
人間の魂にとって意味があるのでは?

どんなに苦しくてもひたすら生きようとするのは、
そういう本能のスイッチが入るからなのかと思うことがあります。

自分の大切な人に幸せであってほしい気持ち。
自分のことなら、とっくに諦めていることでも
その人に幸せでいてほしいから、頑張れるってこと

確かにあると思う。でもそれは、

その人の辛さを見るより、楽しさを共有していたい
その人に苦労して欲しくない、幸せでいてほしい、
っていう自分の思いでもある。

離れがたい大切な人がいたり、
「この世で経験できる素晴らしさを、まだまだ経験したい!」
そう思えることが、

自分にとっての「生きる意味」なんじゃないかな。
とみゆの文を読んで改めて思いました。

「難」も一つの事象であって、
「無いこと」「有ること」

どちらにも意味があって、意味がない。
どちらにも良いことと良くないことがあって、

それに良いことを見つけだして
意味をつけるのは、自分なのかもしれません。

みゆは「難が有ることで人生に迷う暇がない」

おかげさまで
「ただひたすら生きられてありがたい」という
前向きな意味を?!

ゆゆは「無難な人生のおかげで
人生の意味を問う必要がない」という幸せを?!

そしてやっぱり、「幸せ」はそれを感じる心。

誰からも押し付けられないし、
自分でそう感じられたら、そういう気持ちが沸き起こってきたら、

それが「幸せ」なんじゃないかな。

「生きる意味」も「幸せ」も、それぞれの心の中にあるような・・・
外に求めるものでも外から意味づけされるものでもないような。

そんなにも「生きたい」と思える、みゆは、
この世界のどんな素晴らしさを感じているのか、

みゆにとっての「意味」や「幸せ」はなんなのか?

ゆゆはそれが知りたいから、日々のエッセイは気負わずに
決意表明もしなくていいから、

考え事だけでなく
日々の中にあるささやかな喜びや幸せでもいいから

みゆの心にとまった様々なことを書いてみてね!
楽しみにしています。

ゆゆ


みゆより055.gif

「なぜ生きたい」と思うのか、それは逆にいえば、
「なぜ死にたい」と思うのか?−ですよね。

私はそっちのほうがわからないんです。

というのは、まわりに恵まれているからであり、
やさしい人たちに囲まれているからであることは間違いありません。

精神的に豊かなんです。
それが、「生きたい」と思うエネルギーになるんだろうと思います。
そしてそんな人たちと共に生きることが幸せだからかもしれません。


055.gifゆゆ

「精神的に豊かだ」と思えること
それって素晴らしいね!!

みゆって本当に素晴らしいなー。

では、体調悪そうですが、お大事に。
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Commented at 2015-09-13 17:51 x
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by mi-yu-yu | 2015-09-13 09:27 | みゆエッセイ | Comments(1)