お掃除で
2015年 07月 30日
今朝、母が部屋のおそうじをしていたので、
私もぞうきんがけをしてみることにしました!
けど、身体の重さと頭のクラクラ感に驚かされました!
中学生のころは、授業がおわると、
机を寄せて、教室のぞうきんがけをして、
友達とぞうきんがけリレーをしながら、何往復もしていたのになあ。
今はそんなことも、過去の栄光…??
でも、ぞうきんがけをして、あらためて部屋のせまさを実感しました。
いくら「せまい、せまい!」といわれていても、
見えないと、ものすごく広い空間があるような錯覚をしてしまうのですが、
実際、ぞうきんがけをしてみたら、ろくにできないうちに
むこう側のカベにたどりついてしまいます。
イメージでは、もっと広いお家なんだけど、残念さを体感できました。
日ごろも、どんなお店や場所に行っても、「広い」とか「せまい」とは聞いても、
広さを実感するのは本当に難しいと感じます。
「何畳くらい?」と聞くこともあるけど、そういうことも、
以前はなにげなく目から情報を得ていたんだなあと思います。
今は、会議のときも、私のイメージとは、
相手がいるところとの距離感が全然ちがったりして、
驚かされることも多いけど、
ビックリの連続が私の毎日です。
みゆ
miyuへ
盲ろうの状態で、空間の距離を把握するということは
本当に、
どんなに過去に見えていた経験があっても
大変なことだろうなあ・・・
不安で恐れながら手を伸ばして探りながら歩くのも、
きっと距離が長く感じるだろうし・・・
目を開けて確認することもできないし。
音の反響で広さを感じたりすることもできないし。
「雑巾掛け」で距離を測ろうとするなんて
いろんな前向きなお試しをしていますね。
ゆゆ
でも 他見の方から突然 盲ろうで本を出された荒さんをご存じですか?ってたずねられ 驚きました!
このブログを紹介したので 見てくれるかも♪
たくさんの出合いがあり 充実した初日を過ごすことができました。
いつも日々の暮らしの何気ないことから、たくさんのことを学びとってますよね。不自由さゆえに気づくこともあるのだろうけど、そこで大変で終わるんじゃなくて、客観的なとこに落ち着くとこがすごい。