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大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ
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差別?区別?認証システム?

055.gif yuyuさんへ

今日、お仕事が2つ、某区民への講演と、
某雑誌への執筆のご依頼をいただきました!
ありがとうございます!

学生であることに別れを告げて、なんだか不安ばかりでしたが、
やっと最近、私も社会人になれたような気がしています。
ここまでくるのは、とても長い道のりでした。

できの悪い娘を、皆様が温かい目で見守ってくださり、
育てていただけること、本当に感謝しています。
ありがとうございます!

さて、話は変わりますが、先日ミュージシャンのGACKTさんが、
パリで受けた人種差別についてコメントしていました。

そこに「誰がマナーが守れて、誰がマナーがなってないなんて、
瞬時にわかるわけがない。だから肌の色で“区別”したのだろう。

ムカついたら何か変わるわけじゃないだろ?
ムカついて文句言って何もしないのは、愚の骨頂だよ。
だったら、笑ってサラッと行動した方が意味があると思わないか?」
とおっしゃっていました。

たしかに、そうだよな、と思います。
私は「盲ろう者」と区別されることがとても嫌だったけど、

それぞれの特徴などからグループに分けて、抱いているイメージで
その人をわかったような気になってしまうのは仕方がないことだと思います。

でも、そんなイメージが目立ってしまうのは、
その人を知らない人間にとっては、知らないのだから、

その人の抱いているものさしで見てしまうというのは、
結局「差別」でもなんでもないことなのだと思います。

私みたいな若年盲ろうで、視覚も聴覚も失った人はやっぱり少数派だし、
イメージに誤解があっても、いたしかたないのかもしれません。

だから、自分がわけられているグループのもつイメージでも、
個人個人によって全く異なることを、
多くの人に知ってもらう努力は必要なのかもしれないですね。

その誤解に腹をたてるのではなく、笑顔で説明できることは、
とても大切な力なんだろうなー。

みゆ

055.gif miyuへ

お仕事おめでとうございます!

毎日いろいろ難しいテーマを送ってくれますね!
帰りの電車でメールを見てからずーっと考えていました。

「盲ろう」というくくりも
「見えない聞こえない生活を送っている人」という

その人の背景をわかりやすくする認証システム
と思うのはどうでしょうか?

年齢や職業と同じような感覚で。

別に差別しているつもりも区別しているつもりもなくても、
みゆのことを誰かに紹介しようとしたら、

私もやっぱり、ただ「みゆちゃん」と言っても、
どんな風に付き合っているのか、わかってもらえるのは
家族のようになっている身内だけ。

だから、みゆの魂はなんら障害と関係ないと思って
普通の女の子と話すように話していても、他の人に

みゆの努力をわかってもらいたい時や、
一緒に遊べる友達になってほしい時は

「盲ろう」と言わないにしても、
「目と耳が使えないんだけど」という説明が必要です。

それでふと思ったんだけど、今回新聞でゆゆを紹介してもらう時も、
ゆゆ的には、ただの「ゆゆ」であって、

ただの「ゆゆ」でも「放浪の旅人」でもなんでもよかった・・・が、
新聞で「放浪の旅人」とか言っても???「ただの変な人」だし、

やっぱり周りの人に、信ぴょう性?を与えたり
どんな感じか背景を想像させるために?
年齢や職業が役にたって、

星の王子さま的な話ではあるけれど、
そういう「ラベル」があると人がちょっとわかったような気持ちに
なれるのかもしれない。

でも、その人のアイデンティティがそこにあるかはわからないし、
そのラベルがあっても中身やこだわり、分野は、人それぞれ幅広くて、
同じ職業でも同じとも言えない部分もある。

障害と職業は違って、
職業は偏見とか嫌な目で見られることはないから、
差別とは違うと思う人もいるかもしれないけれど、

職業にだって差別もあるかもしれない。

ゆゆの職業だって、みゆが最初に不信感を抱いたように、
まだ付き合ってもみないうちに(付き合ってないからこそ?)

「そのつらい経験もしたこともない頭でっかちの人間が、
上から目線で、分析したりレッテル貼ったりする人」みたいに
「偏見」で見て、抵抗感や敵意を向けられることだってあるんです!

仕事じゃなくて普通におしゃべりしたいだけなのに、
いつも専門家ぶっているように、とらえられることだってあるんです。
(まあ、本当のところゆゆは専門家にみられないことの方が多いんですが・・・)

よーするに何が言いたいかというと、お互いに、より相手を知るには
少しずつ距離を近づけて仲良くならないと無理だし、

基本的にラベルは最低限の認証システムで
それで人がわかるものではない。

年齢だって、大人になるとただの参考くらいで、見た目も内容も
幅広く、言われなければわからないことの方が多い。

見えないみゆは、年齢や背景などある程度のラベル、ヒントが
想像力の足しになって役に立つかもしれないけれど、

「それが全てでもない」という感覚を
自分が持っていることも大事なんじゃないかな?

相手がどう思っていようとも、

そんなに簡単に「人」も「障害」もわからないんだから
「ま、いっかー」と受け流すくらいの余裕を持っていてもいいのかも。

実際、障害を持っている人を邪魔そうに扱ったりバカにしたりする人も
いるのかもしれないけれど

わからないながらに「何か自分にできることはないかな?」って
見ている人もいて、

自分が「ばかにされる」と思っていると、そういう人の視線まで
「ジロジロ見られている」とネガティブに受け取ってしまうかもしれないよ。

・・・みゆは見えないから大丈夫だけど。

こちらの考え方や見方で相手の見え方が変わることがあるのも
お互い様。

それに、たとえ相手がネガティブにとらえていたとしても、
こちらのこだわらない反応に、
相手の意識が変わることもあるかもしれません!

人は「良い人」と「悪い人」がいるのではなくて、
それぞれの人の中に「良い面」と「悪い面」とあって、

そのどちらを引き出すかという力も、
人との関わりの中にはあるような気がします。

みゆは人の良い面を引き出す力が強いから、
こうして恵まれた環境の中にいるのではないかな?
と思ったりもします。

これから世の中の人々の良い面が引き出されていくような
活動をみゆに期待しています。

そしたらますます、ゆゆにとって住みやすい国になるなあ・・・!

ゆゆ

みゆより

遅くまでありがとうございます!
ゆゆさんから今日はなんてお返事がくるのか、
楽しみにしていました!

はー…、さすがのお返事ありがとうございます!










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by mi-yu-yu | 2015-04-15 22:48 | 盲ろう | Comments(0)