人のフィルターを通して見ること
2015年 04月 04日
人に通訳してもらいながら生きるということは、
通訳する相手のフィルター(考え方やものの感じ方など)を通した
自分で見たり、聞いたりする情報ではないものを、
だから、自分の考えがわからなくなることも。
だけど、私が包括的に物事を把握するためには、
一体どう開拓していけばいいんだろう。
そう考えるとやっぱり、オリンピック選手にコーチの存在が
(って、今までもさんざんコーチしていただいていますが)
今日、ガンを発症し、声帯を摘出されたつんく♂さんの記事を
きっと、人生の困難はだれにでもあって、
それをどう受け止めるかでその意味は変わってくるんだと思う。
なんだろう?
まだまだ模索しています。
(>_<)
「それでも生きている」という現実を突きつけられるようなたいへんな経験をくぐり抜けることで、人生にとって必要なことが見えてくることがあるのですね。そうは言ってもmiyuさんのくぐり抜けられてきた道は誰にでも通れる簡単な道ではなかったと思います。けれど本を読ませていただいて、miyuさんのその強さ、明るさ、しなやかさ、魂の輝きがあったからこそ乗り越えられたのだと良く分りました。(そしてyuyuちゃんという天使との出会いも運命的ですね!)
「あなただから出来る事。あなたにしか出来ない事。
それを追求すれば、学歴でもない、成績でもない、
あなたの代わりは無理なんだという人生が待っていると思います」このつんくさんの言葉、本当に心に響きますね。
miyuさんの人生はすでに多くの人たちに光を与えています。かくいう私も娘の年齢ほど若いmiyuさんにたくさんのことを学んでいます。どうぞじっくりと歩いてmiyuさんのわくわくすることを形にして行って下さい。応援しています。
私からしてみれば、「これってどんな音?」と聞いたときに返ってくる言葉が、その音を作る。
みゆに置き換えると、上記プラス「これってどんな見た目?」で返ってきた言葉が、その見た目を作るよね。
最近思うのは、そのものより周りの人がボソッと言っている意見とか、見ている表情とかが大事なんじゃないかなーって。
そんなの通訳してくれる人ってほとんどいないと思う。少なくとも私が通訳してもらう通訳さんにはいない。だから教えてもらったとき、ちょっと感動してしまったのです。
聞こえるときは当たり前のことだったけど、それが無くなると、周りのボソッと言った意見なんてあったことすら忘れてたなーって思った。そういうの聞ける(知る)ようになったの最近だから、どんどん知りたくなったよねー。