大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

ありがとうの人生

055.gif yuyuさんへ

なんとなく、前にちょっと話題になった、
“世界の通学路”という映画を思い出しました。

この作品は、学校まで何時間も、
ジャングルや危険地帯を通って小学校に通う子供たちの姿がありますが、
その中に登場していた兄弟は、おにいちゃんが車イス。

開発途上国で車イスなんて大変すぎると思いますが、
この兄弟は弟がおにいちゃんの車イスを押して、

川をわたったり、整備されていないデコボコ道を悪戦苦闘しながら、
一生懸命学校へ通っています。

そして、そんな2人を待って、授業をはじめない先生や友達たち。
大変さはあるけど、グっと胸にくるものがありました。

「ありがとう」ってたくさん言える人生は、
たとえ難しい試練があったとしても、

他人のやさしさを感じる機会が自然と多くて、だからこそ
「有難い」人生になるのかもしれないな。

みゆ

055.gif miyuへ(長くなって、読むの大変でごめん)

みゆが自分の障害を認めるまでは、
「障害」について話す事すらできなかったけれど

障害を受け入れざるを得なくなった後は、
「障害を持って生きること」について
よく話し合いましたね。

「自分ばっかりが、ありがとうと言い続ける人生なのか?」
「自分ばっかりが、ありがとうと言い続ける人生は嫌だ」

「自分だけがありがとうと言って、
 誰からもありがとうと言われない人生」

・・・障害を持ったら、そうなると思っているのか?
ゆゆはとっても気になりました。

それに、「ありがとう」って
何かを「してもらう」時に使う言葉なのか?

ーーー

みゆとそういう議論をするまで、
ゆゆは何でもかんでも「ありがとう」を感じていました。

水が水道ひねれば出ることもだけど、呼吸して体が命の営みを
規則的にしてくれていること、指が器用に動いてくれること

人間って、天才じゃない??
心の中でいつも「ありがとう!」って言ってます。

どうも心の中だけじゃなくて、外でも言ってるらしく、

小学生の姪に「ねえねはいつも、ありがとうっていうね。いいすぎ!」
と言われましたけど。

だって、本当にありがたいなーと思うことだらけなんだもの。
バスも電車も「私を運んでくれてありがとう!」って感じです。

すべてのことに自然に感謝の気持ちが沸き起こってきて、
何でもかんでも「ありがとう」の気持ちが溢れてくると、

何にもなくても幸せ体質になってしまい、
実際、何にもないんだけど、めちゃくちゃ幸せです。

そんな態度にみゆは、
「ゆゆがセレブで何もかも恵まれているせいだ」と、受け取りました。

セレブーーーーーーー?!(ワープアです。でもプア充?)

確かに、健康だとか人間関係とか、
人の葛藤になりやすいことにも、恵まれていて、

それこそが、最高の「ありがとう!!」だな、とは思うのですが、

みゆが思っている路線とは違いそうだな・・・
と誤解を解こうとしたら、

「ゆゆさんは、見えて聞こえて、自然が癒してくれるからいいんだ」
と言われました。

確かに。本当に、見える、聞こえる、それだけで「ありがとう」です。

ーーー
以前、みゆが入院していた時、
体が全く動かせず、天井を見るだけの患者さんを
ベッドごと、中庭に連れて行きました。

一ヶ月ぶりくらいに触れる外気に、
冬の寒い寒い空の下なのに、

「(頬にあたる冷たい)風がきもちいい・・・」
「空が青い」「ありがとう・・・」って泣いていました。

それで泣くほど感激するって、
どんだけ極限状態に置かれているんだろう。とも感じましたが、

その人が「私は目が見えて、耳が聞こえる。それだけで十分。
私のところより、みゆちゃんのところに行ってあげて」
とおっしゃいました。

みゆは、そのくらい大変な状況で、だから「ありがとう」を強要なんて
したくないな、と思いました。

ーーー

っていうか、そもそも「ありがとう」っていう言葉は、

「してあげるとか、してもらったとか」
そういう関係の時に使う義務の言葉ではなくて、

そこから沸き起こる気持ちの表れであることに
意味があるのだと思うから、

「感謝」っていうのは人から強要されるものではなくて、
自分の心からわきあがるもの。

そう思えないなら言わなくたっていいし、
「ありがとう」なんて言えない時もあるんじゃないかな。
と思いました。

「ありがとう」は言わなければいけない言葉でも、
人から強要される言葉でもなくて、

だけど・・・、言いたくなったら
「出し惜しみ」しなくてもいい言葉なんじゃないかな。

とても「ありがとう」なんて言えない状況の中にいること自体が
大変なことで、

その中に、小さな「ありがとう」を見つけていくことができたら、
そのことが、その人自身を癒してくれるのではないかと思いました。

ーーー

そして、今、みゆはきっと、自分のことを
「ありがとう」というばっかりの人生じゃないと気づいていると思うし、

心に染み入るような「ありがたい」人の心遣いを感じて、
物質的な物や支援のやりとりだけではない、

無形の価値を見出して感謝したり、ただいてくれること、
ただそこにあることへの感謝、

日々の生活の中に、
「ありがたいこと」を見つけるのが上手になったと思います。

義務としてではなくて、

何でもかんでも「当たり前」ではなくて「有難い」
自然に感謝の気持ちがわいて「ありがたくなっちゃう人生」

「ありがとう!」って、ついたくさん言っちゃう人生になったら、

それは、本当にとっても幸せな人生だと思います。
少なくとも「ありがとう」の出し惜しみはしませんように。

ゆゆ

みゆより055.gif

「なにかをやってもらってありがとう」じゃなくて、
「なにもしなくてもいい。そばにいてくれてありがとう」って、
その人の存在自体に幸せを見いだせるようになったから。

私が健康だったころ、祖父の車イスを
押させてもらうのが好きだったのは、

「ありがとう」と言われたり、
近所のおばちゃんにほめられることはまったく求めていなくて、
ただ祖父が大好きで一緒にいたかったから。

私は、障害があっても、障害は人の価値を左右するものではないから、

心の持ち方次第でその中に楽しみや幸せを
見つけることはできると思います!











[PR]
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by mi-yu-yu | 2015-01-26 22:42 | 思い | Comments(0)