yuyuさんへ
おはようございます。
今日は日差しがものすごいあったかいので、
天気がいいんだなーって私もわかります!
ブログ、お願いします。
――
ゆゆさんのコメントに、大切なことを思いだせたような気がします。
私にとって、通訳介助者って存在は必要だけど、
親しい人たちが、ハンディを理解して、
自然に仲間にいれてくれたらもっとうれしいなーと思います。
最近、私が大学へ行くときは、
(時間があれば帰りも)ゆび点字を覚えてくれた学生さんが
お迎えに来てくれます。
しかも、通訳するのも上手で、みんなでおしゃべりできます。
道中も、おしゃべりしながら登校できて、とっても楽しい。
昨日なんて、タクシー登校だったのに、
運転手さんのおもしろ話まで教えてくれて、
「なんてステキな子たちだろうなー!」と思いました。
学校で、通訳介助者がいない時は、
この子たちは、たぶん、私が1人にならないように
気遣ってくれているんだと思います。
授業の前までおしゃべりできるなんて、とっても嬉しい。
授業で知識をつけ、考えることも大切だけど、
こういう、自分を理解しようとしてくれる温かい人たちと、
人間関係をつくることが、なによりも勉強になるんだと思います。
学校だけでなく、ゆゆさんみたいな人たちもだけど、
そういう人たちに支えられているから、私は幸せに生きられるのだろうな。
今日はこれからおばあちゃんがくるので楽しみです!
みゆ
miyuへ
途中で、どんな経緯があって、みゆがこういうブログを書いているのか、
読む人はわからないと思うけど、
みゆもいつも経緯がわからないまま、結果を伝えられる日々だから、
そういう意味では、わからなくても「平等」ですね。
盲ろうという大変さの中でも、みゆの強みは、
(情報量は少なくなってしまうし、
うまく状況まで伝達できなくてみゆを心細くさせるかもしれないけれど、
まだらな情報が混乱させるかもしれないけれど)
通訳さんがいなくても、「誰とでも話そうと思えば話せる」ということだと思います。
言葉にできなくても直接伝わってくるもの(笑いの振動とか)、
手に書かれる力加減、スピード、直接伝わってくる優しさ、
そういうのも大事にして欲しい。
同じ情報、平等な情報、それを求めるのは当然だけど、
どうしても限界があるのなら、
みゆの得られる情報、みゆの感じる情報も、もっと大事にして、
それを発信してほしい。
同じ同じを追求して、そこにエネルギーを費やしていたら、
みゆにできる大切なことを逃してしまいそう。
みゆにしかできない役割、そんなものがきっとあると思うから、
みんなについていくことを頑張るのではなくて、
そっちを頑張ってほしいなあ・・・と期待するゆゆなのでした。
今日は、ほんといい天気!ゆゆもお洗濯をして出勤します。
ゆゆ