夢の中で
2013年 06月 01日
おじいちゃんがここにいなくなってから、心にドッシリとしこりができたのか、
いや、ぽっかりと穴があいてしまったのか…
どちらにせよ、ふとした瞬間に思い出すおじいちゃんはいつも笑っている。
思えば、事故と病気の繰り返しであったけれど、どんな時にもへこまず、
果敢に立ち向かうおじいちゃんは、いつもなんだかんだいいながら復活して、
「あと5年!(あと5年は生きるからよろしく)」を繰り返すから、
今回も、きっといつものしぶとい生命力で復活をとげて、
「あと5年!」は、まだまだ永遠に続くものだとばかり思っていました。
私も、おじいちゃんは、元気になって帰ってくるものだと、すっかり安心しきっていました。
今日、おじいちゃんと、3年前に亡くなった、兄弟のようにかわいがっていた犬の夢をみました。
私は、それが夢だとも思わないまま、存在を疑いもせずに、満ちたりた笑いに包まれ、
オルゴールの音が聞こえてきそうなくらい穏やかに流れるやさしい時間を、
心から楽しんでいました。
それなのに、ひょんなことでパッと目がさめた瞬間。
見えないながらも、広がる現実に引き戻されると、
「夢の中では、大切な人たちがすぐ手の届くところにいたよ…、
私も見えて聞こえていたよ…」という思いが押し寄せます。
もとより、余計に現実を生きるのがさびしくなって、
「本当に楽しかったのに、どうして目がさめてしまったのだろう…。
このまま目がさめなければずっと一緒にいられてよかったのに!」
なんて、ついつい考えてしまいました。
みゆ
miyuへ
切ない目覚め・・・の朝ではありますが・・・
これまで、おじいちゃんが、そんなにも日々思い出されていたでしょうか。
おじいちゃんが、「この世にいない」という事実を突きつけられて、
むしろmiyuの心の中の、とても近い場所に、
おじいちゃんはやって来たように感じます。
イメージの中で暮らしているmiyuこそが、おじいちゃんの存在を
生きている限り大切にできるのかもしれません。
年老いて盲ろう犬になってしまったビスティーも夢の中では、
元気に、みゆの周りを楽しそうに駆け回っていたのですね。
みんな重い肉体から解き放たれて、障害もなく、時間も関係ない、
自由に楽しい世界を伸びやかに過ごしているのかなー。
yuyuは魂は永遠だと思っているし、
時々、こちらで苦労している魂を見守りに来たり、見守ってってことづけにくる魂に
お会いしたりすることがあるから、ちょっと人とは違う死生観かもしれないけれど、
miyuのおじいちゃんは、強力なmiyuの応援者になってくれる気がします。
夢だって、この世の時間の一部でもあるから、その時間が少しでも楽しいといいし、
楽しい夢を見られる経験をおじいちゃんやビスティーから贈られたってことですよね。
目が覚めた時のギャップに苦しむmiyuではありますが・・・
目が覚めた後も、平和な人のフィルターを通して、
素敵なイメージに包まれた毎日を送れるように願っています。
ゆゆ