「命が美しいのは」(福島智先生より)
2013年 02月 22日
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((生きるって人とつながることだ 第32回「命が美しいのは」
天理時報4318号 6面 天理教道友社 2013.2.17))より転載
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第32回 命が美しいのは
「星の王女さま」に初めて会ったのは、昨年2月のことだった。
荒美有紀(あらみゆき)さん、24歳。都内の大学の仏文科に通う、
「☆(星)の王女さま、大学へ行く」と題するネット上の公開日記(ブログ)を、
昨年6月から綴っている。姉のように慕う女性との交換日記の形式だ。
全身の神経に腫瘍ができる難病のため22歳のとき、荒さんは聴力と視力を失った。
肢体障害もあり、車いすを利用する。 発話は音声で行う。
初めて会ったとき、ことばを「聞く」のは手のひらに指で字を書いてもらっていた。
その後、点字を覚え、指点字も練習した。
メールの送受信も自由にできる。
彼女のブログを最近のものから遡った。最初の日まで読んだとき、心が震えた。
「今日は病棟の部長と担当の先生と退院のお話をしてきました。
『あとどれくらい生きますか?』ってきいたら、
『それはわからないし、いい薬ができるかもしれないけど、
一瞬一瞬を大切に生きたほうがいいよー』って言われました。
そのすぐ後に、「交換日記たのしみでーす!」と荒さんは記す。
この「普通の女子大生の文体」が、内容の重さを逆に際立たせる。
見えて聞こえていたころ、荒さんは海外でホームステイをした。
吹奏学部で仲間とハーモニーを奏でた。
この1年、荒さんと何度か会った。お互い盲ろう者なので、通訳者を通して語り合う。
私の心には、通訳者の指点字を通して、彼女の内面がくっきりと浮かび上がる。
若い。強さと脆さが危うい均衡を保っている。性別が異なり背景もまるで違うけれど、
盲ろう者になって間もないころの、かつての私自身を垣間見る思いがする。
それと同時に、私にはない鋭い緊迫感もまとっている。先日、彼女に尋ねた。
「あなたの場合、盲ろうという障害以外にも重い病気があるよね。
それをあなたは、どう捉えていますか?」
荒さんが答える。「なんで私だけ、こんなことになるんだろうとか思って、
すごくつらかったんですけど……、今は一生懸命やっていて、
自分にできるのは、一生懸命生きることだけだなと思って。
この先、病気がどういう影響を及ぼすのかとかはあまり考えていなくて」
そして、彼女は続けた。「悲しいことを考えていると気持ちも暗くなりますけど、
楽しいこととか幸せを、ちっちゃい幸せでもいっぱい感じるようにして生きていると、
すごく楽しいなあと思うので、それは、へこんだりもたくさんするんですけど、
生きていてうれしいなと感じるようにしています」
荒さんのブログのタイトルはサン=テグジュペリの『星の王子さま』が由来だろう。
その王子の次のことばを連想した。
「星が美しいのはね、目に見えない花がひとつ、咲いているからなんだ」
「命が美しいのは、幸せを感じられる心があるからです」。
荒さんがそう言っているような気がした。
読みながら、心臓がドキドキしました。
このような文章にできる表現力、さすがです!(拍手!!)
私も、大変な時や辛いこともあるけど、良いことを考えても悪いことを考えても、どのみち時間は同じだけ過ぎて行くんだから、楽しいことを考えて過ごす方が好きです(笑)
これからもたくさん、美しくて幸せになるような花を咲かせましょう~☆
そしてみゆから会えなくなった日からメールを本格的に再開し、再会した日までのお互いを報告した日を思い出した。
みゆから「素敵な一瞬を増やすこと」を学んだよなって。
今だから出来ることを増やすってこんなにも素敵なことだと多くの人に伝えてくれたね。
ありがとう。