大学4年生で聴覚と視覚を失った☆の王女さまmiyu。 新しい大学生活のスタート


by みゆ
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

チョコツアー

055.gif yuyuさんへ

言葉の美しさは、音声に限ったことではありません。
それぞれのコミュニケーションのツールが異なる人が集まれば、
自然とその場で使用するべきツールも増え、時間と工夫が必要になるのは当たり前です。

音声が使える人にとって、言葉を文字にすることはめんどくさいことかもしれないけれど、
「相手と仲よくしたい」、「相手が好きだから」、

誰に頼まれるわけでもなく、話がしたいがために、同じツールを覚え、
一生懸命伝えあおうとする。その温かい気持ちが、私は大好きです。

今日は、音声、手話、ゆび文字、ゆび点字、手がき、
たくさんのツールを使い、言葉の多様性、大切さを改めて感じました。

今日は、友達が企画してくれた「チョコツアー。」
上野のチョコ展や銀座のチョコカフェなどに遊びに行って、
あまーい香りとともに、大好きなチョコの数々に囲まれてきました!

盲ろうになってからは、もう博物館なんて、行けると思わなかったし、
第一「楽しめない」と思っていました。

それなのに、友達は点字の説明書きを作って来てくれていたり、
博物館の中を進みながら、かわるがわるゆび点字で点字物や内容を教えてくれる。

それはそれは時間と根性のいる、大変さであったと思います。
私はすごく幸せでした。

その場にいたたくさんのお客さんのうち誰よりも、幸せだと思いました。
盲ろうにはなったけど、いい友達をもったなー。

でも、やっぱり多数の会話は困難が生じてしまいます。
私には情報が少なすぎて、断片的になってしまって、どうしていいのかわからなくなること、
みんなの会話が入ってこないことがあります。

全体像が見渡せないことも、心の葛藤の1つです。
ゆび点字や手がきをしてくれている相手が、私にとって会話の対象のすべてであり、
いつも2人で会話をしているように思えます。

ひとりの人の文字になった言葉を受けとっている時、
ほかの人の情報は受け取ることができないのです。

たとえば今日だったら、友達4人で旅をしましたが、
ある人と話しているとき、他の2人はどうしているのかわからない。

目が使えれば、それは簡単にわかることです。
でも私にとって視覚情報さえ、文字で表現するしかないということです。

もし他の2人も私の会話を聞いているのならば、私の行動も変化するでしょう。
または本当に会話の相手が1人だけならば、それも私の行動が変わる要因でしょう。

さらに難しいのは、最初は私の会話に参加していなかったけれど、
途中から会話に参加した場合。

その瞬時の状況の変化に対応するのはとても困難なことです。
「私は誰とお話していますか??」
「みんなは何をしている??」46時中、聞きたいです。

盲ろうになって初めて感じる幸せと、盲ろうになって初めて感じる辛さ。
どちらがなくても盲ろうは語れません。

みゆ

055.gif miyuへ

おはようございます。昨日もお忙しく、深夜にメールを受け取りました。

女子大生らしいお出かけしていたんだな、と微笑ましく思うと同時に、
盲ろうの状態についてもふかーく考えさせてくれる文でした。

まさに盲ろうのビターチョコレート状態。甘さとにがさ。
複雑な表現しがたい味?

今日は病院ですねー。
久しぶりにコーヒーサービスでご一緒するのを楽しみにしています。

イタリアのシチリア島・モディカの「古代アステカ王国伝来の製法で作ったチョコ」
とやらを持っていくので、これまたどんなお味か、一緒に試してみましょうー。

ゆゆ
[PR]
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by mi-yu-yu | 2013-02-11 23:48 | 盲ろう | Comments(0)