有名人にならなくちゃ!
2012年 07月 12日
私にとって、すごく大切な1年を過ごした病院に、約3週間ぶりにやってきました!
ここで失ったものも沢山あるけれど、新しい自分が生まれた場所でもあって…しみじみ。
ここから巣立って、まだ数週間なのに、なんだかいろんな思いの詰まった場所だけあって、
母校に帰ったような安心感と懐かしさがこみあげてきます。
それはそうと、障がいって、外から見てもわからないってのが、
1番めんどくさいと思うけど、どうでしょう。
視覚障がいだったら、白杖を持っていれば、ほかの元気な人たちから
それなりの配慮を得られたり、助けを借りやすいけれど、
白杖をもたない視覚障がい者だっている。(私!)
聴覚障がいはさらにめんどくさくて(私はそう思う)、外見から障がいがみえない分、
自分で発信しないといけない。
じゃ、もうろうは?
さらにめんどくささの極めつけ!(だと私は思う)
そもそも自分からの発信なんて、相手の存在を確認できなくちゃ、独り言みたいになっちゃうし。
それで私は考えました。
[もうろうバッジ]があればいいじゃん!!
-それを付けている人はもうろうです。困っていたら助けてください!-って、
コマーシャルとかでやって、ひと目見ただけでわかるようになれば、
人が寄ってきやすいかも!!?
福島先生の本に書いてあったのですが、
外国のある盲ろう者は、危険を顧みずひとりで歩いて、なにか困ったときは、
持参した大きなプラカードを頭の上に掲げるそうです。
そのプラカードには、目立つように赤十字のマークとSOSの文字とを書いてあるので、
それだけでもインパクトがありそうなのに、おまけにホイッスルまで思いっきり吹いて、
みんなの注目を集めて、近寄ってきた人に助けてもらうそうです。
盲ろう者がひとりで外出するのは、視覚や聴覚で危険を察知できないので、
とても危険だけれど…(その盲ろう者さんは、骨折しても諦めないそうです)
その気力とパワーがすごいですね。
プラカードをいつも持ち歩くのは、かさばって邪魔だから、何か身につけられるもので
注目を集められればいいのになー。やっぱりもうろうの国が必要!!?
車とかに引かれる心配がなければ、
盲ろう者だって、ひとりで歩けるはずですもんね!!
でもバッジくらいの小ささじゃ、だれも注目してくれないのかなー…
みゆ
miyuへ
こんばんは!
確かに、障がいが目に見えないと理解も支援もされにくいですね。
で、はじめて、miyuが有名人になる意義を感じました。
もう、バッジとか言ってないで、顔パスになるしかないな~って。
そういうわけで、切実に偉業を実現することが必要ですね。
だけど、それでは、他の盲ろうの方たちは救われないね・・・。miyuだけは助かっても。
やっぱり、どうしたら社会の人に支援の手を差し伸べてもらえるか、
真剣に考えて発信してください。
それが、偉業になるのかな・・・。
でもひとくくりにもできなくて、miyuは、目も耳も不自由だけど、身体も不自由で、
ヘレンケラーさんと同じ三重苦ではないけど、違う意味で三重苦、四重苦だし・・・
やっぱりmiyuにはmiyuの手伝って欲しいやり方がありますよね。
障がいのあるなしに関わりなく、また形のない障がいもあり、
ほんとに、見えないけれど大変な思いをして生きている人、
見えない、理解されない大変さを抱えている人が実は沢山います。
大事な人を失ったり、大切なものを失ったり、人に裏切られたり、
なんとか低空飛行でも辛うじて生きている時、それでも人にそういう面を見せないで
働いたり学校に行って元気なみんなに合わせたり、そういう切ない時も人生にはあるから、
自分以外のみんなが幸せそうに眩しく見える時も、
自分だけが不幸のどん底にいるような気がする時も
実は悲しみを抱えて生きている人もいて、
悲しみというものは人に見せないように隠して頑張って生きていることが多いから、
そういういろんな状況があるっていう見えないものへの思いやりや想像力は、
たとえ外から見えなくても、みんなに持っていて欲しいけれど・・・
それは見えなくて人それぞれなだけに、なかなかいたわって上げられないのも現実。
だから、せめてそういう状況にある人に出会った時は、勇気をだして、
どんな手を貸したらいいか、聞けたらいいよね。Can I help you?って。
外国で困っていると、みんな声をかけてくれます。
外国人だから、なんか困っているのかな~って気にかけてくれるんですね。
日本人同士だと返って、想像力のアンテナが安心モードになってしまうのか?
「困っている」って察知しにくいのかな?(yuyuはすぐ拾ってしまうんだけど~。)
困っていたり、元気がなかったら、
何かお手伝いが必要ですか?できることがありますか?大丈夫ですかって。
声をかけるくらいは自然にできる文化だといいのにね。でOKならそれで安心だし。
そして、困っていたら、どんなやり方で、どんな風にして欲しいかまで、聞けるといいのかも。
実際は手伝うことはなくても、そういう配慮のある言葉かけややり取りがあるだけで、
お互いにとって、生きていく勇気を持つことができるのかもしれないな、と思います。
基本はわかっていても、それでもやっぱり間違うこともあるし、
その人にとってパーフェクトな支援はできないけれど、
失敗してもお互いに支えあおうという交流があれば、
心に温かいものを残してくれるのかもしれません。
だからyuyuは援助をする人だけでなく、受け取る方にも大切な役目があって、
多少の失敗には目をつぶって、相手の思いを受け取るってことも
人を支える行為なのではないかと思います。
相手が人を支援する勇気を出せるように支援する。っていう、
それぞれが大切な役目を持っているのではないかなーと思っています。
援助する人が偉くて、援助される人は遠慮しなきゃいけないってことではなくて、
双方が人として必要な役目を果たし合う、というか・・・。
それが結局、どうなっても生きていけると思えたり、助けたり助けられたりしながら、
社会の中で生きていける安心感を持てるようになると思うから。
上手に人の助けを受け取る。ということも実は結構難しくて、
人を助けるのと同じくらい、いやそれ以上に難しい、重要な人としての学び、
立派なお役目なのかな、と思っています。
これはyuyuの考えですけどね。
でも、「人に迷惑かけちゃいけない」ってナースコールも押さず、同情もされたくなく、
人に頼むとか人に手伝ってもらうことをあんなに苦手としていたmiyuが、
人の支援を適切に受けて、主張して頑張ろうとしているのは、ものすごい成長だと思います。
点字のみならず、そこも「頑張っている」って認めています!
じゃ、明日も元気にいってらっしゃい!
ホイッスルとか鈴はmiyuもいつも携帯していたら?
ゆゆ
miyuより返信
ナースコールはいまでも遠慮しますよー!
具合の悪いときならまだしも、私は結構ピンピンしてたので・・・。
ちなみに、盲ろうバッジっていうのも、私限定じゃなくて、
盲ろうの人みんなに支給されるといいなと思ったんです。
盲ろうって、外から見てわからないから、知らない人に結構話し掛けられたりするんですけど、(病室とか)
そういうときに私がもうろうだって気づかないと、
「しかとかしら?失礼な子、性格の悪い子って思われてしまう。」しかも私の気づかないうちに。(体験談)
そういう時にバッジとかしててひと目でわかったら、そういう誤解とか、
道端で困っているから助けてもらえたときに、反応の悪さとか、納得してもらえるのかなーって思って。
yuyu:
確かに聴導犬と一緒に歩くようになって、人から耳が聞こえないとわかってもらえるようになって
良かったって、友人も言っていた。
それは耳が聞こえない子達も悩んでいるから、バッチつけたいか?聞いてみたら。
内部疾患の人とか・・・
反応が見えてしまう人の方が、相手の誤解や嫌な反応が見えてしまう分、辛くなるかも。
それに自分の障がいに気づいていなくて、その障がい故に人から誤解されたり
苦しんだりしている人もいます。
嫌な気分になるけど、相手も知らないんだからしょうがない・・・
知ろうともしない人、分かっていても知らんぷりする人は論外ですが・・・
そもそも世の中誤解だらけです・・・。
いろんな人が他人に対する関心や思いやりを心がけられたら、自分たちにとっても
心あたたまる、安心できる社会になるのになー。
yuyuさん、背景リニューアルして、かわいい水玉ピンクになりましたね!
あ、でも私は携帯から見てるからかな?前、パソコンから見たら茶色だったので。
それはともかく、miyuの書き込みを見て、昨日だったか、テレビでやっていたのを思い出しました。
「横浜市営地下鉄で、9年前 全席優先席にしたけど、あまり譲り合いが無いので、最近、最優先席を作った」という話。
「結局前に戻ってるじゃないか!」って言われていたけど、街の人の話を聞いてみると、、
高齢者「今の若い人は譲らないよねー。」
若者「前に譲ったら、『私はそんなに年とってない』って言われた」とか。
確かに「私はまだ元気なのに、年寄り扱いするな」って思う人も結構いるみたいで。。
「譲って欲しい人はバッヂをつけたら良いんじゃないか?」という意見あり、私はこれに賛成です。
(私も入らなかったので、下に続きま~す(苦笑)
かと言って、一駅くらいの短い区間だと、立ったり座ったりが逆に大変なので、譲られても…って感じなんですが。
テレビで「優先席は何歳以上と、ハッキリ明記すれば」という意見もありましたが、何歳か分からないし、人によっては「年とっても立てるけど、疲れてる時は座りたい」という人もいるだろうし。。
miyuのいう、盲ろうバッヂについては、人によっては意見あるかもしれませんが、確かに『妊婦さんマーク』みたいなのをつけていると、見た目では分からない周りの人も、分かりやすくて良いかも?!?
もちろん、電車に関して言えば、お年寄りや身体の不自由な方には、マークなんてなくても席を譲るべきだと思いますけど…なかなか難しいとこですね。。
ちなみに譲ってもらっても、旦那が「すぐ降りるからいいです」と断った場合、私は必ず「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言います。譲ってくれた方の、その気持ちに感謝して。譲る方も、結構 勇気いりますもんね~